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「志のある人の支援には力を惜しまない」と目を輝かす橋田幸子(ゆきこ)さん。 | |||||||
イラクで誤って襲撃され亡くなった戦場ジャーナリスト・(故)橋田信介氏の妻として意志を継いだ幸子さんは、イラクで爆撃の破片を目に受けた少年・モハマド君の目を治療する支援を求め「モハマド募金」活動を行った。全国からの多くの支援があり、モハマド君は2004年6月に来日し、沼津市などの病院で痛みを取る手術を行った。その後、角膜手術も行い、現在は視力もある程度回復し、イラクで元気に家族と暮らしている。この募金活動の資金をもとに「橋田メモリアル・モハマドくん基金」が2004年8月22日に設立され、イラクに子供病院を建設するための活動を進めている。同基金を運営する「100人委員会」代表の幸子さんは、橋田信介氏の63回目の誕生日にあたる先月の8月22日に設立1周年記念を日大国際関係学部(三島市)で行った。幸子さんは活動報告で、子供病院に先駆けてサマワ孤児院の診療所建設への寄付を行い9月には工事に着工するめどがついたこと、またファルージャの子供病院へは基金から800万円を寄付すること、市から提供される土地の選定に入っており、女医さんの準備など、順調に進んでいることを報告した。幸子さんは、「この活動を若い世代に受け継いでほしい」と参加者に呼び掛けた。今回は、全国に向けて支援活動を行う橋田幸子さんにご登場いただき、活動状況や今後の夢などを語ってもらった。 −今回、橋田幸子さんが清水町のご出身ということもあり、地元の方がイラクの子供のために一生懸命努力されている姿を、いろいろな方に知ってもらうお手伝いできればと思い、静岡県建設業協会の広報誌HP「けんせつ静岡」へのご登場をお願いました。そこでまず、故・橋田信介さんへの思いから伺います。
橋田 橋田は大学卒業後、ジャーナリストの道を選び、最後の方は戦場ジャーナリストの仕事に徹し、戦場以外の取材はしないと言い続けていました。まさに戦場が職場でした。ただ、大手メディアでは危険な戦場の現場には行けませんから、フリーランスになるしか有りませんでした。後ろ盾がありませんので、資金調達から、現場へどうやってたどりついて、どういう取材をして、また、どこへ売り込んでいくのか、すべて自分の才覚でやらなければいけませんでした。私も取材に同行し後方支援をしていまして、最初のころはライトと音取りをしたり、運転手をしたりと、二人三脚でやってきました。ジャーナリストとしても大先輩ですし、いろいろなことを教えてもらいました。一方では、同じ生活者であり、発想の面白さがあり日々の生活は本当に楽しかったですね。そして戦場でもどこでも、相手が地位のある人とか普通の人とか関係なく気持ちを溶いて“武装解除”させてしまう不思議な人でしたね。(夫との思い出は 『覚悟−戦場ジャーナリストの夫と生きた日々』橋田幸子著 2004年11月中央公論新社発行 につづられている)
−橋田さんか戦場にこだわられた理由は 橋田 戦場が一番ドラマチックだからでしょうね。ジャーナリストとしては歴史の瞬間に立ち会える喜びというのが何ものにも換えがたい喜びだったと思います。戦場というのは、人間の表も裏も、そして人間の本音というのは美しくもあり汚くもあり、それが渦巻いている世界です。そうした死に直面した戦場の取材から帰ってきますと、本当に生きていて良かった、と、何気ない家族との日常に生きている喜びを感じます。 −子供病院の建設に向けては順調に進んでおられるという事ですが。 橋田 イラクの医療状況は大変で、技術のある医者は国外に逃げだしてしまって、病院も略奪にあい設備もない。お金のない人は治療を受けることができずに死ぬしかないという現状です。モハマド君も盲腸になったのですが、国内では手術ができませんでした。そうした背景を踏まえて子供病院をつくろうということになりました。しかし日本の最先端の医療技術を持っていってもイラクでは使えません。基礎的な医療環境を整えることが必要です。建設にあたっては、日本の団体に言えば全部やってくれると、いうのはよくありません。あくまでもサポートであって、現地の方に自立してもらわないといけないと考えています。 ―モハマド君への期待は 橋田 彼が大きくなって、今回建設する子供病院の中心になって活躍してくれるといいですね。お医者さんにならなくていいから、マネジメントするような役割をになってくれるといい。 彼の部族はイラクでも200万人の最大部族で、“希望の星”と言われて期待されています。 −日本の建設業界が貢献できることは 橋田 湾岸戦争の時には、バクダットに日本の建設業者が1万人以上も住んでいて、発電所でも何でも日本人の技術者が作っていました。その姿を見て、イラクの方も日本の人を大変勤勉だと言っており、親しみも持っている。これからは、建設関係の仕事はイラクにたくさんあるはずです。イラクの方に建設技術を教えてあげるなど、何らかの関わり方ができるといいですね。 −これからの夢を教えて下さい 橋田 志(こころざし)がある青年を育てるためにはなんでもやりたい、自分のできることであれば。そして、企業の皆さんもいい青年を使い捨てしないでください、と言いたいですね。私自身については、自分の時間がなさすぎたので、振り返る時間がほしいですね。また大学にもどろうかなとも思っています。信介さんとやりたいことはやってきたつもりですが、やり残したなと思う親孝行をしっかりやりたいですね。 −今後のご活躍を期待します。どうもありがとうございました。
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