ことし6月に熱海市の起雲閣で、70歳の古希を機に五重塔など伝統建築の模型の個展を開いた棟梁(とうりょう)、山田明さん(有限会社山田工務店・熱海市上多賀)を訪ね、技能の伝承や職人の育成などについてお話をうかがいました。山田さんは建築模型や大工道具を展示する「木工館」を設けて、技能や道具の伝承・保存をしています。しかし、「丁寧にものをつくろうとすると、仕事がなくなってしまう」と、山田さんは伝統技能を取り巻く状況を厳しく見詰めています。それは公共事業にとっても他人事ではありません。同じものづくりの立場で通じるところがいっぱいあって話しは尽きません。聞き手は、総務・広報委員会の原廣太郎委員長、佐野茂樹委員。応援に渡辺修熱海建設業協会会長も駆けつけてくれました。
「木工館」には国内外の大工道具400点
熱海駅から車で約15分。本道を右にそれ、蜜柑山をしばらく登ると「木工館」がありました。山懐に抱かれたように2階建ての建物が建っていました。隣は山田工務店の作業場です。
中に入ると、1階には大工道具がいっぱい並んでいます。入口に向かって左側には日本の道具、右側には外国の道具。大きなものから小さなものまで、いろいろな種類があります。今は懐かしい道具もあります。見たこともない道具もあります。 鋸、斧、鉞、釿、鉋、鑿、錐、槌、墨壺などなど(この漢字を全部読めますか? 順に「のこぎり」「おの」「まさかり」「ちょうな」「かんな」「のみ」「きり」「つち」「すみつぼ」)。
「数えたことはないけれど、400点くらいあります。9割は自宅にあったもので、ほかは骨董屋で手に入れました」と山田さん。5年くらいかけて集めたそうで、今も7割くらいは使っているということです。
山田さんのお父さんは、地元では誰もが知っている「彦一さん」という棟梁。自然に家業を継いだわけで、昼間は仕事に精を出し、夜は沼津工業高校の定時制に通いました。
「若い時に赤根崎のホテルの建築担当者にかわいがられて、いろいろな仕事をやらせてもらって今の基礎を作りました。しゃべるのが下手ですので、営業はできません。ただ、お客様からいただいた仕事をこつこつとやっているというやり方です」
柔らかな曲線の手すりに導かれて「木工館」2階に上がります。そこには建築模型、木組、古建築設計図などが展示されていました。展示品に囲まれた休憩コーナーに落ち着いて、しばらくお話をうかがいました。
五重塔の部品は数万点
なぜ、建築模型を作ろうと思ったのでしょうか。
仕事が好きで、本当は五重塔を造りたいのですが、そういう仕事がありませんから、模型を作ることにしたのです。自分の技術を形にするというか、頭の中にあっても消えてしまうから。五重塔は5年かかりました。モデルはありません。独自に30歳の時に設計からすべてやりました。全国の五重塔を勉強して、図面を書くのに半年くらいかかりました。
部品は一体いくつくらい使っているのですか。
数万点あると思います。それも精巧に作っていかないと、重ねていくから0.1ミリ違っても大きく違ってしまいます。
大工さんをしていれば、誰にでもできるというものではないでしょう。
そうですね。見学に来た人が10万円だか幾らのキットを買って、2年がかりで組み立てたのだけれども、途中でできなくなって人に譲ってしまったという話を聞きました。
こちらの大きな模型は。
1年かけて、今年3月ごろにできました。滋賀県の石山寺の多宝塔です。いろいろな図面がありましたので、それを基に作りました。
「木工館」は、模型を展示するために造ったのですか。
そうですね。ただ、誰かに見てもらおうということはなかった。自分の趣味です。五重塔を家の中で、あっちに置いたりこっちに置いたりしていて、落ち着く場所がほしかったのです。一般の人は滅多に来ません。ここの周辺の人でも知っている人はすくないのではないでしょうか。
熱海市の新しい名所として「こういう施設もあります」とPRしては困りますか。
やはり予約がないと、突然来られてもこまりますね。展示の仕方も、ガラスケースに入れてあればいいのですが。みんな手が届き、手に触れられるように置いてありますので心配です。千葉の若い大工さんが夫婦で見えたことがあります。同業者で話すのも楽しみなんですけれども。
もったいないですね。売る気はまったくないですか。
ないですね。
丁寧な仕事は要らない時代?
こうした伝統技能・技術は、気付いたら絶えてしまうのではないでしょうか。いいものは伝えていかなければなりません。ぜひ、一般の人たちにも伝えてほしいものです。いい勉強になると思うのですが。
以前、大工の皆さんが20人くらいいらしたのですが、ここにある木組を1人も分かりませんでした。そういう時代になってきたのです。かつては鴨居の溝を1センチ5ミリ作るのも大変だったんですね。何回も何回も鉋で削って溝をつけました。そういうように手でやることによって、仕事を覚えていったのです。今はもう機械でズーとやってしまいます。
丁寧な仕事は、いまや必要ではないということになるのでしょうか。
ほとんどの人が要求しません。
価値が分からないということですね。
そこのところが一番残念ですね。
公共工事でも値段ありきですから、はしょるところははしょって、こうした方がキレイだよというのは要らない時代ですね。
「そういうことは、今の勢いだと止められないでしょう。丁寧にいいものを造ろうとすると、仕事がなくなってしまうわけです。丁寧に仕事をやっていると、1日7000円だ、1万円だと稼げなくなり、生活できなくなります。木造の神社などを入札でやったら、請け負った会社はたいがい赤字になるのではないでしょうか。
自分で考えることが大事
大工になろうという若者はいますか。
この間、大工になりたいという人が来たのですが、断りました。こういう時勢ですから、大工をやるのも3年間は建築の専門学校へ行って基礎を覚えてくる方がいいですね。昔は弟子入りして、小遣い程度でしたが、今は入社したら何十万円と給料を支払わなくてはなりません。見習いから基礎を叩き込むという、ゆとりはありません。
国の施策、公共の力がないと駄目でしょう。
そうですね。学校へ行く人にいろいろなところから援助してあげるべきでしょう。
技能の伝承をどうしたらいいのでしょう。
いろいろな建築を見て、例えばお寺の賽銭箱を見て、『これは面白いな』と思って、どうやってできているかを自分で考えて作る。自分で考えるということが大事なのです。
たいがいの人は「いくらでできる」という興味ですね。
社会環境が変わってきていますから、一部の人の努力では変えてゆくことは難しいですよね。
その「一部の人」が寄り集まらないと。
円覚寺舎利殿を“建築中”
今また模型をつくってらっしゃるということですが。
鎌倉の円覚寺の舎利殿です。建物を半分に割ったつくりで、反対側を見ると建物の外部がわかり、後ろから見ると内部がわかるようにします。ケヤキが材料で、大きさは1メートル角くらい。10分の1の縮尺です。まだ基礎ができたばかり。1年半くらい、来年の冬にも完成させる予定です。
腕を振るった「老後の家」
「木工館」でのインタビューを終えて、海のそばにある山田さんの自宅にもお邪魔しました。山田さんは「老後の家」と名付けています。山田工務店の紹介パンフレットにも使われている木造日本家屋です。
「10年くらい前から材料を集めたりして、少しずつ準備して作り貯めして」完成させたそうです。千鳥格子のポーチ袖、囲炉裏、自在、洒落た椅子、寝室のR天井など、みな山田さんが一つひとつ丹精を込めた作品です。寝室のベッドも自作で「フレームは木曽檜(ひのき)で作りました。寝ていると木の香りがして、寝ていて森林浴だと言っています」
誰に頼まれた仕事でもない。自分の好きなように思う存分腕を振るったのでしょう。建築の仕事が本当に好きで好きでたまらない、やめろと言われてもやめられないに違い在りません。棟梁、山田さんの技の心が伝わってくる家でした。
【委員長の取材後記】
9月3日静岡駅で、今井、建通新聞社の名倉委員と待ち合わせるが、県建協の今井常務は急に協会の仕事が入って都合がつかず、行けないとの事で、前回同様2人旅となる。
午前8時前に静岡駅南口に着くべく、6時過ぎに自宅を出発、7時半には名倉委員と合流して一路東名から熱海に向かう。沼津インターから伊豆縦貫道路を経由して国1の混雑を避けて下田街道に入り熱函道路を経て、9時30分無事熱海市内へ。青木建設の佐野委員と連絡を取りながら駅前で落ち合い、応援の熱海建設業協会会長の渡辺組の渡辺社長自ら運転のワンボックスカーで目的の山田氏の展示場「木工館」へ向かった。
久し振りの熱海市内、坂また坂、曲がりくねった細い道、山の中の街だということを再認識した。「木工館」へ向かう道もこれまた狭くて急勾配、ミカン畑の山肌を縫って登頂!!亀石峠に出てしまうのではないかと思うくらい山を登った中腹に到着。瀟洒なモダンな建物があった。登って来た方を振り返ると抜けるような青空と、地球の中まで浸み込むような、真っ青な海と山の緑が、絵に描いたように美しかった。
1時間余の取材を終えて、腹ペコ。海岸通りの食堂で海の幸が満杯の昼飯を佐野委員のご配慮で御馳走になった。感謝。帰途は、海の美しさに感銘して、ついつい海岸通りをドライブしながら河津町経由天城越えになってしまいました。佐野委員はじめ渡辺会長のご苦労に感謝しながら、静岡駅で名倉委員と別れて家路に着きました。