言わずと知れた徳川家康公を祀る久能山東照宮は、昨年12月の文化審議会の答申を得て、国宝に指定されました。指定されたのは本殿、石の間、拝殿です。静岡県内の建造物の国宝指定は初めてで、国宝指定については49年ぶりということです。これをきっかけに参拝者が急増しているそうです。今回、久能山東照宮を訪ね、宮司の落合偉洲(ひでくに)さんにお話を伺いました。(聞き手は、総務・広報委員会の市川聡康委員、今井公平静岡県建設業協会常務理事、名倉啓司特別委員)
久能山東照宮を訪れるには、2つのルートがあります。日本平からのロープウェイか、表参道からの1159段の石段か。どちらも捨てがたい景色があるのです。
今回は、表参道からのルートを紹介しましょう。
土産物店が並ぶ奥にある石の鳥居から始まり、すぐに石段は急になります。気が短いのではなく、登りの辛さに早々と音を上げますと、九十九(つづら)折の石段を幾つも折らないうちに「もう半分ぐらいかな」「まだまだ、上を見上げてご覧なさい」。
木の間隠れに光っていた駿河湾が、一ノ門まで来ると眼前に大きく青々と広がっています。石垣イチゴのビニールハウスの屋根の連なり、その先の海を見るだけでも、表参道を選んだ価値があるというものでしょう。もちろん下りでもいいのですが、やはり登りの苦しさの中から、一息ついて見るというのが格別なのです。
一ノ門をくぐると、前にあるのが門衛所、さらに少し傾斜が緩くなった石段を行くと、右手に旧の博物館(この建物の空き地からの駿河湾の眺めもまたいいのです)。その先、左手に手洗いがあって、現在の博物館があります。
さあ到着というか、本当の入口です。左手がロープウェイ乗り場で、正面が久能山東照宮入場券売り場となります。
さっそく宮司の落合偉洲さんに面会し、お話を伺いました。お忙しい中にもかかわらず1時間以上も貴重なお話をお聞かせいただきました。
--国宝に指定されてどのような変化がありましたか。
昨年の10月に文化審議会の答申が出て、それが報道されてから参拝者が急増しました。想像した以上の反応でした。当初、参拝者は2割程度ベースが上がるだろうと期待していました。既に平成の大修理できれいになっていたことから増えてはいたのですが、国宝指定で6割増となりました。
これがいつまで続くかは分かりません。しかし、3割増くらいでベースアップしていければいいと考えています。
--国宝に指定された建物というのは。
久能山東照宮を造ったのは、400年前に活躍していた大工の中井大和守正清(なかいやまとのかみまさきよ)という人です。
この人は法隆寺の大工として生まれ育ちました。当時傷んでいた法隆寺を直したことから家康公に認められ、今で言えば国土交通大臣くらいまで出世しました。京都の仁和寺金堂や二条城二の丸御殿も、この人の手によるものです。とにかくすごい大工さんなのです。
この人の力を最も認め評価し、地位を与えたのが家康公でしたから、二代将軍に頼まれ、全精力をつぎ込んで久能山東照宮を造ったのでした。建物十幾つあるわけですが、それぞれに棟梁を決め、同時進行で造らせて1年7カ月で完成させたそうです。建物の中でも最も心血を注いだのは神様を祀る本殿、次の石の間、拝殿、つまり今回国宝に指定された建物なのです。
わたしたち素人が見ても「ああ、こういうところに工夫されているな」と分かるところもあります。
例えば、拝殿の天井。格天井といったマス目になっています。一尺ぐらいの大きなマスの中に、細かなマス目があって、その中には金箔が貼ってあります。しかも金具がふんだんに使われています。
本殿は一段高く、拝殿は一段低く、そこを石の間がつないでいます。石の間にも天井があって、本殿の天井は平天井ですので、こちらはせり上がり天井になっているのです。そのようなところも、目で見えて分かるところです。
た畳の縁(へり)。石の間の畳の縁は「紅梅縁」というもので、これは高貴な人の住まわれている廊下に敷いてある畳に使うものです。拝殿の畳は、大紋縁といって普通は床の間に敷く畳に使うものです。このようなことから、久能山東照宮は、非常に格の高い建物として造られているということです。
--そのほかにも久能山東照宮の見所を教えてください。
まず、屋根です。かつては桧皮葺(ひわだぶき)だったのですが、耐久性がないため、銅瓦に黒漆をかけてあります。ただし、1カ所、厩(うまや)だけが瓦葺です。
それから、建物が総漆塗りで、極彩色になっていることです。そこにはさまざまな彫刻が施されています。花や動物、人物などです。万年青(おもと)の彫刻は5カ所ありまして、よく見ると少しずつ違っています。家康は万年青が好きだったという言い伝えがありますが、そのお話は残念ながら文献として残っていません。
--平成27年の400年大祭が近づいていますが、既に何かお考えでしょうか。
家康公が亡くなられてから節目の年に大祭や記念事業を行っています。大正4年の300年大祭では博物館を造ったり、梅園を久能山下に移したりしました。昭和44年の350年祭には、今の博物館が造られました。
今度の400年大祭では、もう建物を建てる余地はありませんし、史跡に建物を建てることじたい難しくなっています。7年かけて行った平成の大修理が、いわばメーンの行事となったといえます。とはいえ、もちろん400年を記念する大きなお祭りを考えています。
--まだまだ久能山東照宮のPRが不足しているようにも思えますが、今後の取り組みをどのようにお考えですか。
継続的な広報を心掛けていくことが第一です。今回の国宝指定で多くのマスコミが取り上げてくれました。わたしとしては、できるだけ丁寧に対応しよう、どのような小さなミニコミでも対応しようと努めています。
また積極的に宣伝費用を使って広報もしようと考えています。できるだけたくさんの皆様がお出でいただけるよう、例えば、うちに帰っても久能山東照宮の話が続くように、お土産というものを大事にと考え、新しいお菓子も用意しています。国宝指定記念『家康公伝説』というイチゴブッセは既に好評発売中です。茶飴やカステラなども登場します。
静岡の市内の皆様が、ご自身のことのように国宝指定を喜んでいただいているので、ぜひ、静岡市の活性化のためにもっと力を出していきたいものです。
--ここには、国宝に指定された本殿だけでなく、さまざまな建物がありますね。
先ほどお話した大正時代に建てた博物館は、今、物置になっています。傾きかけた弓道場や、門衛所など今眠っている建物を改装して仕事をさせることで、もっと多くの皆様に訪れていただけると思います。久能山の重要文化財でお茶会や句会を開いたらいかがでしょうか。
文化財というものは保存だけではダメです。活用してこそ生きるのです。現代的にいかに生かしていくかが課題なのです。日本が世界の国々から尊敬されるには、文化大国になるしかありません。文化財の保存・活用をしっかりしていくことが求められています。しかし、国の予算措置はまだまだ不十分であるというのが現実です。
--さて、最後に今一番力を入れているのは何でしょうか。
スペイン国王から家康公に贈られた時計を国宝にしたいということです。 文化庁にも話をして資料を徐々に出しているところです。この時計は400年前に家康公がメキシコの人たちを助けたお礼として贈られた時計で、日本に現存する機械式時計としては最も古く、外交史上の貴重な品です。
この時計は1581年に来たものですが、同じ職人が作った時計がスペインのエスコリアル宮殿にあって、それは1583年に作られているんです。
美術工芸品に詳しく、古い時計にも詳しいイギリスの方によると、「国宝になってしかるべきだ。側面から応援する」と言っていました。また時を支配するのは国王だけであって、国王の時計だから非常に高価なものだということです。
インタビューを終えて、本殿に向かうと、いつの間にか境内には参拝者でいっぱいになっていました。草薙から来た小学生たちもいました。
静岡、いや国宝ですから国の貴重な宝として、国内外の多くの人々に知っていただくとともに、そのことが静岡の一層の活性化につながるように期待し、わたしたち静岡県建設業協会もお手伝いしていきたいと思いました。