ちょっと紹介特別編

『50を過ぎてからの挑戦(マラソン)』

株式会社川島組 工務部土木課次長 山本佳彦


【子供のころ】

私が育ったのは旧金谷町(現島田市)のバスも通らない不便な所である。そのせいもあって小・中・高と毎日3kmの道のりを歩いて通い、足腰はずいぶんと丈夫になった。スポーツは子供の頃から好きではあったが、マラソンにはさほど興味はなかった。

【娘への嫉妬・若さの想い】

第1回しまだ大井川マラソン in リバティ
第1回しまだ大井川マラソン
in リバティ蓬莱橋を背に
32km付近を歩く
娘が高校の部活動で吹奏楽のマーチングを三年間続け、練習は厳しかったこともあり大会では常に喝采を浴びていた。娘の若さと情熱に、年甲斐もなく嫉妬した。まだ若者には負けたくない。もう一度、若かった頃の気持ちに戻りたい そんな想いが心のどこかに宿っていた。2007年 第1回東京マラソンが行われ、日本各地でマラソンブームが巻き起こり、老若男女を含む多くの市民ランナーを見掛ける様になった。(特に、中高年のガンバリ)マラソンは、手軽に楽しめて健康に良いスポーツとして、身近なものになっていた。51歳の7月に、静岡新聞の記事でサックス奏者、坂田明氏のエッセイが目に留まった。そこには 「やりたい事はやってみろ、やる前から失敗を恐れるな。良いか悪いかなど解らない」とあった。「よ~し、走るぞ。」と決めた時、社長にフルマラソンの大会に誘われた。

【初めてのフルマラソン】

11月の「第一回しまだ大井川マラソン in リバティ」だった。42.195kmを7時間でゴールしなければいけない。今の実力では、歩いて完走(完歩)するのが目標だった。練習は始めたものの5分と走り続ける事はできなかったが、2ヶ月も経つ頃には10kmを走れるまでになり、これで走って完走できると淡い期待を抱いた。大会当日、島田市役所前をスタート10kmまで快調に走ることが出来たが11kmを過ぎた辺りから、右足の膝に痛みを感じ20kmからは走れなくなってしまった。「もうこれ以上は走れない。でも何が何でも完走するぞ!」ここで諦めたら女房に笑われる。 もうひと踏ん張りだ。ゴール間近となり最後くらいはカッコよく決めてやろうと走ってみたが、長い間歩き続けたことで足が棒のようになり、ペンギンが歩くような走りに自分でも可笑しくなってしまった。

【家族円満のヒミツとは】

しかし、苦しみながらも 5時間27分 でゴールする事ができた。「完走。やったぞ!」知らぬ間に嬉しさで頬が濡れていた。まだまだやれる、いくつになっても青春だ、と自信が湧いてきた。日々の練習の成果で昨年は、20本の県内外の大会に出場し4時間を切ることができた。今年の目標は、「フルマラソンで3時間半を切る事だ!」自分の好きなことが出来るのも家庭が円満だからだろうか。
※ 円満になる秘訣は、夫も家事に参加すること事だと思う。
(ちなみに、掃除・洗濯・食器洗い・ガーデニング等々、家事全般である。)そんなわけで、忙しい毎日を過ごしています。
第25回中央アルプス駒ヶ根高原マラソン大会
第25回中央アルプス駒ヶ根高原マラソン大会
第34回富士裾野高原マラソン大会
第34回富士裾野高原マラソン大会

【がんばれ、東北!! がんばれ、日本!!】

東日本大震災により、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。震災後、多くのイベントが中止となり、マラソン大会もそれに漏れず多くの大会が中止となった。イベントは、経済効果もあり、それ以上に日本を元気づける特効薬ではないかと思う。そのためにもマラソン大会は、ぜひ開催して頂きたいものである。
庭いじりと家庭菜園を楽しむ
庭いじりと家庭菜園を楽しむ