須山建設株式会社 管理ブロック担当 取締役 大河内 隆
私は1951年生まれで今年還暦を迎えました。子供の頃、線路傍に住んでいたため自然に鉄道が好きになりました。大学では「鉄道研究会」に入りました。鉄道といえば昔は男性の趣味で女性が一人もいないサークルでした。
野村総合研究所はコアな鉄道ファンは2万人程度、少しでも好きな人を含めた鉄道ファンはその100倍、ファンが趣味に使うお金は合計で年1,000億を超えるとレポートしています。
最近は鉄道番組の放映、鉄道書籍の発刊が増えています。鉄道趣味には様々なジャンルがあります。鉄道写真を撮る「撮り鉄」、列車に乗ることを楽しむ「乗り鉄」、鉄道模型を作る「模型鉄」、机上旅行を楽しむ「時刻表鉄」などに細分化されます。複数のジャンルにまたがって鉄道趣味を楽しむ人もいます。
私は「撮り鉄」です。昔は乗務員室の後ろから前方走行の景色を眺めながら「お立ち台」を探しあて最寄りの駅から撮影ポイントまで歩いて行きました。最近ではウェブ検索で「お立ち台」情報を取得しナビを使って簡単に目的地へ行けますが、私は鉄道を利用した「撮り鉄」が王道だと思っています。
40年間でカメラの性能は大きく向上しました。学生時代に使用していた一眼レフカメラは、ピントはもちろん、絞りやシャター速度も当然ながらのフルマニュアル機でした。フィルムの最高感度はISO400で天候に左右されやすい鉄道の撮影にはそれなりのテクニックが必要でした。
現在愛用しているカメラはデジタル一眼レフ、オートフォーカス2400万画素、ISO 200~3200、最速シャタースピード1/8000秒、5コマ/秒 のフルオートですのでそれなりの写真が撮れますが、デジカメの色合いは人工的と主張し銀塩カメラとリバーサルフィルムで撮影を続けている人がいます。単純にデジカメ優位とは言い切れないようです。
1970年代は日本国有鉄道Discover Japanの時代、蒸気機関車の牽引する「汽車」が日本各地で運転されていました。春先になると北海道均一周遊券片手に大量のフィルムを携え、わずかばかりの現金を懐に「北辺の機関車」の撮影にいきました。
SLブームが去りしばらく趣味から遠去かった時期がありましたが中国に駐在していた友人から「中国の大型蒸気機関車を撮りに来ないか」との誘いをうけ「撮り鉄」が復活しました。中国は1980年代末まで蒸気機関車を製造していた唯一の国でしたが日独加の高速鉄道技術を導入・移転し現在では全土に「中国新幹線」を建設しています。この技術革新の速さにはいささか脅威を感じています。
これまでに撮りためたコマ数は膨大ですが、写真にプリントすることもなく保管箱で眠っていました。10年前より弊社社内報の「今月の写真」として連載が始まってから古い画像が日の目を見ることになりました。また「けんせつ静岡」の表紙にも掲載させて頂きましてありがとうございました。それでは静岡県内と中国のSLの写真をご覧下さい。