根っからの釣りキチ・・そもそもの釣りの始まりは、終戦後の食い物のない時に食べたい盛りのガキだった頃、唯一の蛋 白源は、近くの池(野守池)で釣った、フナ、ハヤ、モロコ、うなぎ、ナマズ、鯉等であった時代、学校から帰ると、毎日決まって夕食 の蛋白源を確保すべく、薄暗くなるまで釣り竿かついで歩きまわりました。
年齢とともに仕事に追われ、忘れていた釣りも、子育てが終わり生活にゆとりができるに連れて、再び古根が芽生えてきた頃、へら鮒のブームが始まりをむかえました。
漏れることなくへらの病魔に侵されてすっかり「へらキチ」となってしまいました。
へら鮒の活性が最高の初夏。 天上のへら鮒の荒喰いに出会うのもこの頃です。
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今は池の様子も昔とは一変してしまい、水は汚れ、心無い人によって放たれた外来種に、在来のハヤ、モロコ等弱 い魚はほとんど食いつくされて生態系が変わってしまいました。
なんとかして元の池を取り戻さねばと、へらの仲間を集めて釣り場の環境作りを自費で始めました。
日本へら鮒釣研究会 東海地区野守支部長 西村幸水さん(本名 西村幸男)
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釣り舟を自作し、外来種の駆除、河畔の整備、水質の改善等々大好きな釣りの時間を割いてより良い野べらの釣り場と なるよう努力の甲斐あって、野守池は今では日本有数のへら鮒の釣り場になりました。
大井川の忘れ形見。 歴史、伝説、由来のある野守池。 年間通して多くの釣人、 観光客がSLを利用して訪れます。
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桜で有名な川根町。 この野守池も花見の人達でにぎわいます。 へら鮒の活性も一段と良くなる頃です。
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しかし、近年急激に増えた、川鵜の襲来には手を焼いています。川鵜退治の名案がある方は是非ご一報願いたい。
それでも早朝から、紅葉も過ぎた霜降る湖畔で、遠方からの釣り人が竿を出していました。
極寒の中何時間もアタリが無く、口を使わないへら鮒を
小さなアタリで釣出した時の醍醐味は格別です。