ちょっと紹介特別編

「当時は大変でした」


※(1)~(13)の画像をクリックすると拡大画像がご覧になれます。

(1)昭和20年の大井川水制工事の請書である。
静岡県知事堀田健男氏は東京帝国大学法学部卒業
内務省土木局属となり奈良県知事として戦時下の対応に尽力し、昭和20年静岡県知事に転任し、戦災の復興に尽力した。

(1)

(2)昭和18年頃の土木事情を表すものである。
静岡県知事今松治郎氏は、愛媛県出身
東京帝国大学仏法科を卒業し、内務省から戦時中は和歌山県知事を経て戦後の静岡県知事となる。
復興に向けて、仕事は沢山有っても、食糧は元より資材等有るはずもなく、この表のごとく工事資材は配給制により施工した 。

(2)

(3)~(5)は当時の設計書である。
複写手段がなく、役所へ出向いて原本をこのように書してきた。後に、カーボン紙が出回り、複写機能が一段と発達し、昭和30年頃までカーボン紙とガリ版刷りが主体であった。

(3) (4) (5)

(6)~(10)は、昭和30年頃までの見積書である。
便箋に縦書きで記入し、5玉そろばんで計算し、単位は1円止まりであった。この頃、筆者は漢字の数字が読みにくく、苦労した。

(6) (7) (8) (9) (10)

(11)(12)は当時の設計書である。
これも複写方法がなく、やくせい紙と言っていた透き通る和紙を持参して、役所で原本に重ねて写し取って来て、仕事をした。不要になった紙を細かく裂いて観世縒り(かんぜより)をつくり、書類の綴じ紐にした。上手によれなくて苦労した思い出がある。

(11) (12)

(13)は当時現場で事務所で手放すことのできなかった分度器である。今のようにプラスチック等透明の品がなかったので、薄いブリキ板でできた先人の知恵が詰まった分度器である。
安立式回転分度規
新案特許第四八八〇四号とある。
当時から見れば今は楽になったものだ 。

(13)