「桜茶屋」

七間町通りの由来

七間町通りは、静岡市の中心部にある静岡伊勢丹前から西へ約350m延びる通りである。七間町という町名は、徳川家康公における駿府96ヶ町の町割りをしたとき付けられ、その由来は、通りの幅が七間(約13m)あったからとか、米・炭・塩などを独占販売する七つの座が並んでいたからなど、諸説あるようだが、いずれにしても400年以上の長い歴史を持つ商いで賑わった町である。

七間町と呉服町の交差点、静岡伊勢丹前に札之辻跡の碑があるが、これは駿府町奉行所により幕府の政策や法令などを掲げた高札場の跡で、その当時から商家を訪れる多くの人々で賑わっていたことが想像できる。

なお、「七間町通り」を西に進んで行くと、以前はその突き当りに安立寺というお寺が建っていたそうですが、現在は「駒形通り」へとそのまま繋がっています。是非、一度歩きながら確認してみて下さい。

「札之辻跡」 「七間町通り(ここから)」
▲札之辻跡
▲七間町通り(ここから)

映画の街として

七間町と言えば、多くの人が「映画の街」をイメージすると思われる。最初に映画館が建てられたのは大正時代だそうで、その後、昭和、平成と長い間、「映画の街」として親しまれてきた。数年前まで七間町の交差点を挟んで多くの映画館が建ち並んでいたのも記憶に新しい。そんな「七間町通り」は「七ぶらシネマ通り」と呼ばれている。“映画を観て、レストランで食事をし、商店街で買い物をして帰る。”「銀ぶら」ならぬ「七ぶら」が流行っていた。正に映画全盛期の時代であったと思われる。

その後、時代の流れと共に、映画館のニーズにも変化があり、交差点の西側にあった6館が2011年に閉館。場所を変え、シネマコンプレックスとして生まれ変わった。

今も通りに沿って設置されているショーケースでは、映画の機材等が展示されており、当時の面影を感じる映画の博物館のようであるが、何となく哀愁を感じる。

映画の機材 展示品 映画の機材 展示品
▲映画の機材 展示品

ただ、交差点東側では、現在も東宝会館で映画を上映しており、映画の街の火は決して消えたわけではない。街並みは大きな変化を見せるが、映画の香りはいつまでも感じる通りであってもらいたい。

東宝会館 映画看板
▲東宝会館 映画看板

上下水道局新庁舎の建設

七間町交差点西側の旧映画館跡地では、現在、静岡市において上下水道局新庁舎が建設中である。

その計画概要は、地上10階、地下1階の鉄骨造、延床面積11,421m2で、平成27年12月完成予定である。用途としては、上下水道局の他、調理製菓専門学校、レストラン、歯科診療所、クリエイティブ産業の振興を目的とした施設などが入り、「人が集うまち七間町」の新たなランドマークを目指している。

また、建設用地が緊急輸送路に指定されている国道362号線に面し、建物が東海・東南海・南海地震の3連動に備えた制振構造、かつ10万リットル(1人一日3ℓ×3日間-約1万人)の耐震性貯水槽を備える「防災拠点機能」となる。

東宝会館 映画看板
▲東宝会館 映画看板

新たな街づくりへ

上下水道局新庁舎建設の他、その南側ではマンション建設も進んでおり、七間町通りの街並みは間違いなく変わってきている。街づくりの核になるのは新庁舎になると思われるが、街を創るのは、そこに住む人々であり、訪れる人々である。

商店街ではこれからも多くの人々を呼び込む様々な仕掛けづくりをしていくと思うが、人々が笑顔で行き交うにぎやかな街へとさらに進化するため、行政と市民とが協働して取り組んでいくことが必要である。

地図


大きな地図で見る