▲葛城さん |
国土交通省と建設産業人材確保・育成推進協議会が実施した高校生作文コンクールで、静岡県立沼津工業高校建築科3年生の葛城圭巳汰さんが国土交通大臣賞を受賞しました。葛城さんの作品のタイトルは「祖父を越える日まで」。葛城さんは、大工だったお祖父さんの姿を見て宮大工になろうと決心したことを、素直に力強く表現しています。いま、念願がかなって社寺建築専門の会社に内定し、職人の道を歩もうとしています。葛城さんにインタビューしました。
(聞き手は原廣太郎総務・広報委員長、佐野茂樹同副委員長)
■祖父の下で大工の道もあった?
―受賞して回りで何か変化はありましたか。
「新聞(静岡新聞)に載ったのを見て、地元の友だちとかが声を掛けてくれたりしました。受賞を一番喜んでくれたのは、父方の祖父母です。親戚に連絡したりしてくれました」
―それが作文に登場する方ですか。
「作文に出てくるのは、母方の祖父です。なかなか顔を合わせる機会がなくて、連絡しかしていませんが、きっと喜んでいてくれているのではないかと思います」
「建築の道に進むことが決まった時も、喜んでいてくれたので、作文で書いたことも喜んでいました」
―お祖父さんは宮大工さんですか。
「住宅を中心に造る大工さんです。私が小学校高学年の時に病気になって、今は現役を引退しています」
―どのような方なのでしょうか。
「外出する時も作業着を着ていて、普段から職人の雰囲気があった覚えがあります。私服の姿をあまり見たことがありません」
「ホームセンターなどに行っても、長さを尺で言ったりする。そのころは尺がどういうものか分かりませんでした」
―お元気でしたら、お祖父さんの下で大工になっていた。
「かもしれません」
■両親も背中を押してくれた
▲葛城さん |
―しかし、なぜ、宮大工なのでしょうか。作文にも書いてありますが。
「大工というもの自体は、祖父を見ていて、祖父が仕事帰りに寄った時に大工道具を見たりしていて、『こういう仕事があるんだな』と興味がありました」
「そうした中で、小学校、中学校で旅行した際に古建築に触れる機会が何度かありました。古建築の外見はもちろん、皆さんは素晴らしいと思うのです。が、木を一つ一つ組んでいく技術が現代の人でも、そうそうできる人がいない。そういう技術が昔から伝わってきているというところに、ちょっと普通とは違う魅力を感じて、宮大工という道を目指そうかなと思いました」
―進学は考えなかったのですか。
「高校2年生の後半、夏休みくらいから、先生や両親と話し合いました、もちろん進学も視野に入れていました。研究という形で古建築に触れていく道もあったのですが、やっぱり変わらなかったのは、実際に現場に出て、一番古建築に近いところで携わりたいという気持ちでした」
「もっと言うと、そういう技術、実際に加工したり組み立てたりする技術を身に付けたいという思いが強かったので進学は止めて、就職で現場に行くことにしました」
―お父さん、お母さんは「職人になりたい」と聞いてびっくりしませんでしたか。
「中学生のころから宮大工になりたいと言っていたため、背中を押してくれることが多かった。学校に行っている間に『ここはどう』と会社を探してくれていたりして、否定するよりは応援してくれることの方が全然多かったです」
■約4カ月通い続けて内定
―ようやく内定したと聞きましたが。
「県西部の社寺建築専門の会社に内定しました」
―ずっと断られていたそうですが。
「ことし(2014年)の6月終わりぐらいから、1カ月に1回くらいのペースで棟梁のところに通いました。10月の終わりにようやく内定をいただきました」
「手紙も書きました。一番初めに書いたのは、今回の作文の内容と同じようなことでした。とにかく自分の決意というか、宮大工になりたいという思いを書かしていただきました。3回くらい手紙を送りました」
―棟梁から返事は。
「手紙を出した後に会社を訪問すると『読んだよ』と言ってもらいましたが、すぐには『うん』と言ってもらえませんでした」
―なぜ断られていたのですか。
「内定が決まってからお話を伺ったのですけれど、何回も何回も来てくれるという熱意のある人を採用したかったということです。ある意味、ちょっと試されていたようです」
「自分としては学校の友だちよりも早く就職活動を始めたのですが、みんなの方が後に活動を始めて先に決まったので、自分も親も結構焦っていました。『決まらなかったら、次を探しておいたら』という感じでしたが、自分はどうしてもそこに入りたいと思っていました」
「宮大工は修復が多い中で、その会社は寺の建て替えをメーンに行っていますから魅力があったのです。建て替えで新築することが多く、基礎から学べると思っています」
■伝統を守る一人になりたい
―将来、どのような建物を造りたいのでしょうか。
「具体的に建てたいものは、今ははっきりしません。最先端の技術を目指す人がいるように、伝統や過去から伝わってきた技術を守っていく人もいると思うので、その一人になりたいのです」
「建物を見る人に、その技術の素晴らしさや、昔の人の知恵、たましいを感じ取ってもらえるような建物を建てられる職人になりたいと思っています」
■インタビューメモ
葛城さんは、小山町の自宅から学校に通っています。中学校から始めたバスケットを高校でも続け、主将を務めていました。ご両親と高校2年生の弟との4人家族。弟さんは残念ながら「職人」には興味がないそうです。
インタビューは学校でお昼休みを使って行いました。そのため、インタビューが終わってからのお弁当となりました。忙しいところをありがとうございました。
▲インタビューする原委員長と佐野副委員長 |
工業高校生作文コンクール「建設業の未来を担う高校生の君たちへ」
国土交通大臣賞「祖父を越える日まで」
葛城圭巳汰(静岡県立沼津工業高等学校建築科3年)
小さな手には収まらない鉋を木端にあてて、不器用にひいた。暖かなヒノキの香りの中でおにぎりを頬張った。幼少期のようやく物心がついた頃の祖父と過ごした日々と、その頃の祖父の「職人」としての姿を、今でも時折思い出す。
私が将来目指すのは宮大工である。現代は、職人の高齢化や減少が建設業界の問題の一つとなっている。そんな中で、私が宮大工になろうと思ったのには、いくつかきっかけがある。
一つは、小学生時代から古い建築物が好きであることだ。小学生の頃に旅行で見た数々の城郭。中学生の修学旅行で訪れた古都の社寺・仏閣。そこで見た建築物の一つ一つと、普通では感じられないような伝統技術の素晴らしさ。それらには、職人一人ひとりの知恵と技と、そして魂が刻まれている。建築当時から数百年も経つ現在も、ほとんど当時と変わらぬ姿で残っているものもある。現代のように、コンピュータや機械も無かった時代に、人の知恵と技術のみでつくり上げる見事さ。中学生の私にとって、それはとても不思議なことであり、と同時に私もこんな技術を学びたいと憧れた。
二つ目は、宮大工という存在が後世に長く続く建築物をつくっていくだけではなく、職人としての魂を伝承していかなければいけないものだ、と思ったことだ。「宮大工は過去の職人と、そして木と会話する」ある棟梁の言葉である。昔の社寺建築物には、驚くほどの匠の技と職人の心意気がつまっている。木にも人と同じように癖がある。ねじれや歪み、反り、育った環境で一本一本違う。この癖を持った木を、どう活かすかが宮大工であり、これができるかどうかで建築物の強さと美しさが決まる。これを聞いて私の心は強く突き動かされた。
私の目指す宮大工という職人への道のりは、決して楽ではないかもしれない。むしろ、苦難の方が多いかもしれない。たとえ、下積みや修業が他の職種より長く、険しいものだとしても、後世へと繋がる数百年という時の長さに比べれば、私の人生の数十年など、とても短い。だから職人としての人生は、一生修業なのだ。心・技・体を一つにして働く宮大工になるには、近道はないと思う。棟梁や親方に叱られることも幾度となくあると思う。それでも、自分の信念を曲げずに、目標を定めて自分の選んだ道を歩んでいきたい。
後世の人たちに私の学んだ知恵と技術を伝え、日本の伝統を継承していけるような名工になることが私の夢である。夢は想いの強さで絶対に叶うと信じている。雨だれが石をも貫くようにコツコツと黙々と修業に励んでいきたいと思う。 そして、同じ志を持っていたであろう、あの頃の祖父の背中を超えられる職人になりたい。