ちょっと紹介特別編

インドの世界遺産を巡る移動距離1200㎞の車旅

三尾 祐一(三与建設 代表取締役)


本棚には俳句関係の本も置いている

インドの大気汚染は深刻な状態

2014/12/28 午後6時30分にインディラ・ガンディー国際空港に到着。
 ニューデリー(New Delhi)は大気汚染が深刻な状態と事前に聞いていたのだが、現実は想像を超えていた。空港に降り立つと、ターミナルビル内がカスミが掛かった状態で、まるで煙が立ちこめている様なのだ。もちろん煙では無いので臭いは無し。見通しが効かない訳では無いが、50m程の距離でも全てが霞んで見える。空港駐車場から車を走らせて外へ出ると、まさに霧が掛かった様。念の為に現地の人に確認すると、やはり霧では無く「光化学スモッグ」とのこと。私自身は「PM2.5」対応の産業用マスクを持ち込んでいたのですぐに装着。

デリーでは、例年、雨期が終わり気温の低下する時期から、大気汚染が顕著となる傾向にあるようで、インド地球科学省地球システム科学機構が2014年2月1日に公表した大気質に関する資料によると、デリーでは気温の低下により汚染物質を含む大気が低く停滞することで、この時期に大気汚染が深刻化するとされており、この資料によれば、デリーの微小粒子状物質(PM2.5)の濃度(1日平均値の月平均)は、2013年12月163.76㎍/㎥、2014年1月183.29㎍/㎥とのデータが有り、ピーク時には時間当たり500㎍/㎥を超えることも。本当に深刻です。

国連機関の世界保健機関(WHO)の2014年発表によると、世界91カ国・1600都市の大気汚染状況を分析した結果、インドの首都ニューデリーは、呼吸器系疾患などを引き起こす微粒子状物質「PM2.5」の年間平均濃度が1立方メートル当たり153マイクログラムで最高値で世界一だった。 一方、近年汚染の深刻化が指摘される中国・北京は同56マイクログラムで77位だそうだ。

日本の環境基準は、環境基本法第16条第1項に基づく人の健康の適切な保護を図るために維持されることが望ましい水準として1年平均値15㎍/㎥以下 かつ1日平均値35㎍/㎥以下 (平成21年9月設定)と定められており、1時間値で80を超えた場合は、「不要不急の外出や屋外での長時間の激しい運動を出来るだけ減らす」よう、注意喚起される。ちなみにWHOの環境基準は1日平均25㎍/㎥以下とされている。

インドを訪れた日のデータは取ってはいないが、直近のデータをインターネットで調べたところ、最大で400㎍/㎥を超えていたと思われるが、日本の環境基準値の実に12倍だ!

※参考
 大気汚染指数 Air Quality Index (AQI))

2014/12/29 タージマハルも霞んで見えない?
New Delhi(ニューデリー)からAgra(アーグラ)を経てJaipur(ジャイプール)へ

青竹の会の句評

ニューデリーから車を走らせること215㎞。時間にして約4時間。インドの都市アーグラの、タージマハル(Taj Mahal)に到着。世界遺産に行く為には、手前の駐車場に車を止めて、かなりの距離を歩かなければならないが、そこは商売旺盛なインド人、オートリキシャ(ここでは電動)や、馬車ならぬラクダ車がおり、入場門近くまで乗せていってくれる。

本来の姿
  ▲本来の姿

本来は大楼門をくぐると前庭を挟んで勇壮な眺めが見えるはずなのだが、ニューデリーからアーグラに移動してきても、大気汚染の状態はあまり変わらず、見えるはずの墓廟の姿が見えない。

タージマハル(Taj Mahal) 世界遺産
▲タージマハル(Taj Mahal) 世界遺産

タージマハルの手前100m程まで近づいてようやく全体像が見えてきた。

墓廟の入口両側にはコーランが刻まれており、全ての大理石には細かな彫刻で装飾が施されている。

墓廟の建築規模としては横と奥行きがどちらも57mの正方形を基本に、四隅が切られた変形八角形をしている。対して高さは丸屋根上部までが58m、上に据えられた頂華の長さを加えると更に高くなる。

アーグラ城(Agra Fort) 世界遺産
▲アーグラ城(Agra Fort) 世界遺産

タージマハルから車で1㎞ちょっと移動すれば、世界遺産のアーグラ城だ。

デリーからアーグラへの遷都に伴い、ムガル帝国第3代皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成した。その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となったとある。外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」であるが、城内の宮殿ムサンマン・ブルジの内壁や床は幾何学的な装飾が施された白大理石でできている。

ファテープル・シークリー(Fatehpur Sikri) 世界遺産
▲ファテープル・シークリー(Fatehpur Sikri) 世界遺産

アーグラから西へ40㎞程、車で1時間程移動してファテープル・シークリーに到着

デリーからアーグラへの遷都をし、アーグラ城を築城した、ムガル帝国第3代皇帝アクバルが、グジャラート地方での戦いに勝利したおりに、この地に住むイスラム教の聖者サリーム・チシュティーを訪ね、当時アクバルは跡継ぎに恵まれなかった為、世継ぎの問題について相談したところ、息子を授かるだろうとの予言を授けられた。そのおかげで王子ジャハーンギールが誕生し、記念としてここに新たな都を造り、アーグラから改めて遷都した。しかし、慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間(1574年~1588年)しか使用されず廃墟となったのだが、宮殿地区とモスク地区、東西600m、南北に500m、約30万平方㍍の大宮殿を造っておきながら、14年しか使われなかったとは、当時の皇帝の権力の強さが想像出来る。

柱はもちろん梁も石造で、驚くべきはスラブ(床)もスライスされた石版で出来ている。細部にまで緻密な装飾が施されており、窓に当たるであろう明かり取りの部分は石版を透かし彫りして建物の内部に明かりを取り込んでいる。

西へ210㎞、車で3時間移動して、Jaipurでホテル泊
 本日の移動距離470㎞

2014/12/30 インドでは「牛」は神様と同格。
        なのでマクドナルドでは牛肉は売りません
Jaipur(ジャイプール)とAjmer(アジュメール)を往復

最近はインド国内にも「マクドナルド」が増えている様だが、完全にローカライズされている。

ヒンドゥー社会において牛は崇拝の対象となっている。神話にもたびたび牛が登場し、たとえばシヴァ神の乗り物はナンディンという牡牛である為、インドのほとんどの州が牛保護法を制定しており、殺生が禁じられ制限されています。

なので、インド人の中でヒンドゥー教徒は牛肉を食べませんし、インド人の中でイスラム教徒は豚肉を食べません。

よって、マクドナルド店内にはこのような注意書きが。
「牛肉と豚肉とそれらの製品は、ここでは販売していません」

プシュカル湖(Pushkar)
▲プシュカル湖(Pushkar)

ジャイプールから西へ150㎞、車で3時間。

プシュカルはアジュメールの北西14㎞程、標高500mに位置する小さな町である。ヒンドゥー教の三大神の一人ブラフマー神に関する伝説が残されており、聖地となっている。特にヒンドゥー教の三大神のうち「創造」をつかさどるブラフマー神を祭る寺院はプシュカルの「Sri Raghunatha Swamy Temple」が、インド国内で唯一であり、寺院のほとりにあるプシュカル湖では、沐浴をする熱心な信者の姿を数多く見ることが出来た。

プシュカルはサンスクリット語で青い蓮の花を意味しており、この地域で人々を苦しめていた悪魔をブラフマー神がマントラを唱えた蓮の花により退治したという伝説に基づいているそうだ。

プシュカルの町は300m四方のプシュカル湖の東から北側に広がっており、湖の周辺には52ものガート(沐浴をする場所)がある。この湖はブラフマー神が手にしていた蓮の花が地上に落ち、そこにできたものとされ、湖自体が神聖なものとされている。人々はこのガートで身を清め、400もあるといわれている寺院にお参りする。

本当にどこにでも牛がいる。しかも飼われているのでは無く、野良犬ならぬ野良牛も多いそうだ。
 しかも、飼われている牛も放し飼いにされているケースが多く、牛保護法によって、だれも牛に対して手荒な事が出来ないので、まさに勝手気ままに牛が町中をうろついている。これは農村部だけの話では無く、ニューデリー等の都市部でも同じこと。

もちろん道路上にも我が物顔で野良牛が歩いており、車のドライバーも相手が歩行者だったり車だったりすると、躊躇無くクラクションを鳴らすくせに、 牛が相手だとじっと牛がどいてくれるのを待っていたりするので、あちこちで牛待ち渋滞が起こるのだ。

アジュメールからジャイプールまで160㎞、途中、ジャイナ教寺院に寄り道して、車で4時間ほど移動。Jaipurに戻りホテル泊
 本日の移動距離340㎞

2014/12/31 インドと言えば「象」。
        でも、どこにでもいるわけではありません
Jaipur(ジャイプール)からNew Delhi(ニューデリー)へ

ジャンタルマンタル(天文台)Jantar Mantar 世界遺産
▲ジャンタルマンタル(天文台)Jantar Mantar 世界遺産

ムガール帝国の天文学者でも有ったマハラジャ、ジャイ・スィン2世によって1728~1734年に建てられた。マハラジャの居城「シティ・パレス」の一角にあり、現在でもマハラジャが住んでいる。

ハワー・マハル(Hawa Mahal) 別名:風の宮殿 ハワー・マハル(Hawa Mahal) 別名:風の宮殿
▲ハワー・マハル(Hawa Mahal) 別名:風の宮殿

ジャイプールのピンク・シティと呼ばれる街区の一角にある宮殿史蹟。1799年、この街を治めていたラージプートの王サワーイー・プラタープ・スィンによって建てられた。ハワー・マハルはシティ・パレスの一部であり、施設の南東の角に位置する。ピンク色をした砂岩を外壁に用いた5階建ての建物で、953もの小窓が通りに面して東向きに設置されており、この小窓から宮廷の女性たちが、自らの姿を外から見られることなく、街の様子を見たり、祭を見て楽しむことができるようになっている。

また、この小窓を通して風が循環することにより、暑いときでも涼しい状態に保たれるような構造となっており、これがこの宮殿の名前の由来ともなっている。

アンベール城(Amber Fort) 世界遺産 (ラージャスターン州の6つの丘陵城砦群のうちの一つ)
▲アンベール城(Amber Fort) 世界遺産(ラージャスターン州の6つの丘陵城砦群のうちの一つ)

ジャイプールから北北東に8㎞程の丘陵地帯に、もともと砦があった所に1592年から、ムガル帝国軍の司令官であったラージプート族のラージャ・マーン・シングによる大規模な築城が始められた。その後150年間にわたって、改築が続けられたそうだ。

城まで象のタクシーに乗って移動中。

城まで象のタクシーに乗って移動中。
 全部で50頭はいるでしょうか、象のタクシーが城へ向かう斜路を一列に成って上っていく姿は壮観な眺めです。
 象のタクシーに乗れるのは午前中だけなのですが、ここへの到着が遅れ、着いたらすでに受付は終了。打ち切り後の行列に並んだ多くの観光客が追い返されています。普通ならあきらめるところですが、悪知恵が働き、観光客用の入口では無く、象の通路になっている裏側から、こっそり最前列へ。

象の背の上に乗せられた乗車台の高さは3m以上、歩くスピードはゆっくりなのですが、横方向に相当に揺れるので怖い怖い。しかも、城に近づくにつれて通路横の壁越しの崖の高さも増していくので非常に怖かったです。
 乗車時間は10分程だったでしょうか、良い経験をさせてもらえました。

アンベール城から250㎞、車で4時間。New Delhiまで移動して泊
 本日の移動距離290㎞

2015/1/1 世界で一番高い石造のミナレット
New Delhi(ニューデリー)市内観光

クトゥブ・ミナール(Qutub Minar) 世界遺産
▲クトゥブ・ミナール(Qutub Minar) 世界遺産

高さが72.5mあり、世界で最も高いミナレットである。
 当初は100m程の高さがあったのだが、地震や落雷などで先端が崩れた後に修復した結果、現在の高さと成っている。
 直径は、基底部14.3mに対して先端部2.75mであり、文字どおりの尖塔である。

内部には378段の階段があり、以前は先端部まで上ることができた。1982年に照明が消えてパニックになった修学旅行中の少女たちが階段で折り重なって倒れ、十数名が死傷する惨事とな り、この事故以来、内部への立入りは禁止された。

ちなみに、ミナレットとは礼拝時刻の告知を行うのに使われる塔であり、現代風に言えば、塔の上にスピーカーを付けて、音声でお知らせを流す放送塔みたいなものか。

ちなみに石造で世界一高いのはエジプトのクフ王のピラミッドだと思われがちなのだが、現在の高さは138.8mであり、世界で最も高い石塔は、朝鮮民主主義人民共和国にある、主体思想塔で、高さは170m。

インド門
▲インド門

インド門 (India Gate) は、インドのデリーにある慰霊碑。
 パリのエトワール凱旋門を基にエドウィン・ラッチェンスによって設計された門型のモニュメントで、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8万5千人)を追悼するために造られた。

高さ42mのアーチには、第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれている。東西に伸びるラージパト通り(Rajpath)により東端のインド門と西端の大統領官邸が結ばれている。永遠の火という火が灯されている。

フランス・パリのエトワール凱旋門はナポレオンが、イタリア・ローマの凱旋門はローマ帝国の皇帝が、そして現代に作られた凱旋門は、読んで字のごとしで軍事的勝利を讃え、凱旋式を行う記念の為に作られたものだが、インド門は慰霊碑。形は同じ様だが意味は全く違うものだ。

New Delhi市内観光
 本日の移動距離80㎞

インドでは今でも丸太と竹で足場を組んでいる

15階建てのRC造の高層マンション
▲15階建てのRC造の高層マンション
15階建てのRC造の高層マンション

足場を拡大すれば分かるが、丸太足場を使っている。

組まれた丸太足場は芸術的でさえ有るが、はたして労災事故の頻度はどうなのだろう?相当数起こっているだろう事が想像できる。

カーストは法律的には無くなったが、実態は全く無くなっておらず、奴隷並みに安い賃金の労働者はいくらでもおり、実態は現地の人間に聞いても解らないとの事だった。

写真を取り忘れたのだが、鉄筋コンクリートのスラブを作る時のサポートも丸太だった。丸太をつっかえ棒的にスラブ型枠の下から斜めに突いてあるのだが、30センチピッチ程度に並べるものだから、スラブの下は丸太だらけ(笑)
 丸太を斜めに突くのは、角度によって、いわゆるジャッキベース代わりに高さ調節をする為だろうと想像する。

生まれて初めてのインド旅行だったのだが、現地在住の親類のコーディネートが無ければ、そして現地に精通した現地人の運転手がいなければとても出来なかった旅行だっただろう。旅先では日本人的な価値観が全く通用せず、カルチャーショックの連続で有った。

何にしてもインドの大気汚染は深刻で、特に冬期は本当にひどい。しかし、この酷い状況の中、非常に多くの日本の企業戦士(妻子含む)達が働いている訳で、本当に頭の下がる思いだった。

インド時間で12/31の夕食を、空港近くのグルガオン地区に有る、現地在住の多くの日本人が過ごす日系ホテルで過ごしたのだが、日本時間では「行く年来る年」がテレビで放映されている時間帯。
 ホテルのロビーに設置されたパブリックビューイング用のプロジェクターモニターには、インターネットを通じて日本の除夜の鐘の映像を映しているのだが、そのまわりには40人ほどの日本人がくつろいでいる。もちろん現地在住の人達で、家族連れも多いのだが、男性だけのグループも多い。たぶん正月も日本に帰らず、インドに残って頑張っている人達なのだろう。聞けば、ここは日本人にとってのオアシスなのだそうだ。

インドに行くと価値観が変わるよと、若い頃によく言われていたのだが、全くもってその通りだった。
 ただし、若い頃に言われたような精神的なものでは無く、色々な意味で現実を見た気がして、私の中の価値観が再構築された様な気がした。