2014年9月、国際かんがい排水委員会(ICID、本部・インド、ニューデリー)により、初の「かんがい施設遺産」として日本から9施設が登録されました。静岡県内では、裾野市の深良用水(ふからようすい)が選ばれました。2005年度の農林水産省主催『全国疎水百選』に続く朗報です。17世紀、徳川家綱治世下に完成した、この施設はいまも現役で、箱根山の外輪山湖尻峠の真下をトンネルで通し、芦ノ湖の澄んだ水を絶えることなく流しています。関係市町の農業や水力発電に役立っているのです。わたしたちは、これを機会にあらためて当時の建設技術の高さと、建設に携わった先人たちのことを思ってほしいと考えています。
かんがい施設遺産とは
富士山の世界遺産は有名ですが、「かんがい施設遺産」はまだあまり知られていません。それもそのはず、2012年に制度が創設されて、昨年初めて登録施設が決まったばかりだからです。
この制度は、かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保全につなげるのが目的です。
対象施設は、建設から100年以上が経過していること、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたものなど、歴史的、技術的、社会的に価値のある施設となっています。初の登録では5カ国17施設が選ばれました。このうち、日本が9施設と最も多くなっています。
深良用水の登録に当たっては、「広報すその」によると、登録基準のうち、一番目の「かんがい農業の発展、食料増産などに資するもの」、二番目の「設計、施工などが当時としては先進的なもの」、三番目の「農業の発展、貧困削減に大きく貢献したもの」、そして七番目の当時としては驚異的で卓越した技術であったもの―の4項目に該当していると考えられているそうです。
ちなみに、従来「深良用水」は歴史書などで「箱根用水」と書かれてきましたが、今回の登録で名実共に「深良用水」の名前が正式名となったことになります。
芦ノ湖からの「命の水」
『「ばか! 水だ!」 「おー?」 「水がきたじゃないか? ばか?」 いきなり、また、力まかせに、なぐり つけた。 「おー!」 「それ! 水だぞ! 水だぞ! 米だぞ! 米だぞ! じーさんも、 よろこべ! ばーさんも、 よろこべ! まごめも、 よろこべ! ひまごも、 よろこべ! 食えるぞ! 食えるぞ! 飯が食えるぞ! 米の飯だぞ! よろこべ! よろこべ! ひーひーじーさん! ひーひーばーさん! あはっはっは! ………………… ………………… 」』 |
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小説では、通水した時の喜びをこのように描いています。どれほどうれしかったことでしょう。今のわたしたちには到底想像もできません。
同じくこの小説では、次のような歌が歌われています。
『「ながれ、ながれて、 とどまらぬ、 地のしたの水の おもしろさ。 水が命か? 命が水か? 水の命よ。 命の水よ。 とても、ながれる、 命なら、 ともに、ながりょー どこまでも!」』 |
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深良地区は、富士山麓の南東、箱根山の西麓に位置し、富士山の噴火でできた玄武岩の溶岩流に覆われ、水が地下に浸透しやすい土地でした。雨や融雪の水は地下に浸透してしまい、雨が降らなければ干ばつになります。水がなければ米ができません。「命の水」という言葉は、文字通りの意味だったはずです。
こうしたことから、当時、深良地区の名主だった大庭源之丞(おおば・げんのじょう)は、芦ノ湖の水を引くことを計画し、江戸の商人、友野与右衛門(ともの・よえもん)らの協力で工事を進めました。大庭源之丞は発起人であり、友野与右衛門はデベロッパーであり、この事業は、いまで言うPFIに近いものだったようです。
掘削は鉱山の土木技術
友野与右衛門は、1666年(寛文6年)8月に箱根山中「熊洞」に出口を定め、11月に芦ノ湖からの取水口を湖尻峠下「四ツ留」に決めて、両側からトンネル工事に着手しました。トンネルを掘るのは、「のみ」などによる手掘りでした。掘られた岩に見られるクモの巣状の「のみ」の跡から「甲州流」という技術だったのではないかと推測しているようです。
江戸時代初期、鉱山開発に当たった大久保長安が有名ですが、そうした鉱山で発達していた土木技術が用いられたとみられています(『日本の歴史13 江戸開府』辻達也著、『日本の歴史 15 大名と百姓』佐々木潤之介著、いずれも中公文庫)。
延べ84万人が工事に携わり、3年半をかけて完成させました。延長は約1280㍍、取水口とトンネル出口との標高差は9.8㍍、平均勾配は130分の1。トンネル中央部の合流地点での高低差は1㍍でした。これは誤差なのではなく、水勢を変えるために計算して段差をつけたのではないかという説もあるそうです。事実、高低差はあっても横のズレはないのですから、この説はうなずけます。
建設費は「7335両2分1朱」(『日本の歴史 15』)だったそうです。今のお金で換算するのは難しいようですが、およそ50億~60億円と見積もれるということです。
謎多い“秘伝”?
資料がほとんどなくて、実際にどのように掘削したのか、どのような技術が用いられたのか、詳しいことは分かっていないようです。硬い岩には油をかけて火をつけて熱し、水をかけて急激に冷やすことでもろくして掘ったのでは…とか、まっすぐ掘るために1~2㍍ごとに提灯を吊るして直線状にあることを確かめながら堀り進めたのでは…とか。
息抜きの竪穴は深良側に1カ所見つかっていますが、箱根側にはいまだに見つかっていません。掘った土、岩はどこに捨てたのか。探しても見つからなかったそうです。
当時、技術は「秘伝」だったために資料として残らなかったのではないかと推測する人もいます。これも、なるほどとうなずけます。謎を残しているのも深良用水の魅力です。
いずれにしても「日本最長の人力で掘られた山岳トンネル」であることは間違いありません。
演劇や展示で偉業を継承
昭和20年代~50年代には小学生の道徳の教科書には、郷土を開いた出来事として「箱根用水」が掲載されていました。地元では今も、総合学習の中で取り上げ、先人の偉業を伝え続けています。また、地元の中学校では、生徒が「いのちの用水」という劇を毎年演じています。
この演劇をきっかけに、深良用水の素晴らしさを再認識したことから、昨年4月には「深良用水まつり」が初めて開かれました。ことしのまつりも深良用水通水の日の4月25日の翌日、26日に開かれることになっています。ぜひ、裾野市にお越しください。
深良地区郷土資料館では、用水の掘削に使われたのみや、行燈(あんどん)、古文書などの基礎資料を展示しています。かんがい施設遺産登録を受けて、最近は個人的に来館する方が増えています。
ここにある深良用水関係の資料を、4月から市民文化センターに移動させて、より多くのみなさんに見てもらうようにします。現在、裾野市では展示の全体構想を詰めています。大庭、友野の2人がどのように出会ったか、資金繰りをどのようにしたか、どう完成させたか、用水はどのように利用されたか、そして今、どのように管理をしているか―といったテーマを物語にして、分かりやすく紹介することにしています。
名 称: | 深良用水(ふからようすい) |
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供用開始年: | 1670年(寛文10年) |
かんがい面積: | 527.2ha |
施設管理者: | 静岡県芦湖水利組合(裾野市、御殿場市、清水町、長泉町の2市2町で構成) |
アクセス: | 深良用水 |
・JR岩波駅より徒歩70分(用水穴口まで) | |
・東名裾野インターチェンジから車で20分 | |
深良地区郷土資料館(裾野市役所深良支所隣り) | |
所在地: | 裾野市深良657番地 電話055-992-0400 |
開館日: | 毎週月曜日~金曜日(休日の予約可) |
開館時間: | 午前10時~午後4時 |
入館料: | 無料 |
*深良用水「かんがい施設遺産」登録に合わせ、深良用水関連資料をことし4月25日から市民文化センターへ移動予定 (裾野市石脇586 電話055-993-9300) |