※このインタビューは(一社)島田建設業協会とのタイアップ企画により、同協会広報誌「創る」Vol.153でもご覧になれます。
1992年に開館、2014年度の本館年間来場者数が約19,000人を下回った島田市博物館。しかし、2015年度には約25,000人、2016年度には約36,000人とわずか2年で倍近い来館者数を達成しました。大幅な躍進を続ける島田市博物館、その陰には創意工夫の連続がありました。さまざまな仕掛けを主導した博物館総合プロデューサー廣木武夫氏に、工夫内容、現在の取り組み、そしてこれからの目標についてお聞きしました。
(聞き手:静岡県建設業協会総務・広報委員会 佐野茂樹委員長、
梶山基担当委員、島田建設業協会広報委員会 山本利彦委員、原廣太郎委員)
博物館総合プロデューサー 廣木武夫氏 |
廣木プロデューサーがこちらに赴任されて、まずどのようなことをされたのでしょうか。
私がこの島田市博物館に赴任したのは、ちょうど3年前の2015年になります。開館当初54,000人いた来館者は2014年度には、年間約19,000人を下回りました。予算も厳しく、お金をかけた派手な展示ができない状況で、来館者を増やし、博物館を維持することが、私のミッションでした。
私が最初に取り組んだのは聞き取り調査でした。当初3カ月の間、知人や友人、来館者に「博物館を知っていますか」、「来館したことはありますか」、「何回来館しましたか」と尋ね続けました。すると返ってきた答えは、「知っているけど行ったことはない」、「小学校のときに1回行ったことがある」といった声が多く、中には「全く知らない」と答えた人もいました。
佐野委員長 |
梶山委員 |
そうした厳しい調査結果の中で、どのような取り組みを実施されたのでしょか。
市民が入りにくいのであれば、博物館の方から歩みよることにしようと、いろいろな取り組みをスタートしました。
まずは、島田市博物館と大井川川越遺跡、分館の明治の日本家屋、海野光弘の版画記念館、昭和資料室と貴重な文化遺産が集まったこのエリアの魅力が市民の方、県外の方によく伝わっていないので、エリア名の募集を全国区で広報しました。
そして決まったのが「ヒストピア島田」です。
江戸、明治、大正、昭和、平成、五つの時代が楽しめるエリアです。川越街道の江戸の風景を再現した野外ミュージアムに、125年前の明治の日本家屋、海野光弘の版画記念館など、五つの好奇心が満たせるエリアとして確立しました。単独で存在する歴史文化をエリアとして繋げ、市民はもちろん県外の人に知ってもらおうと思ったのです。
次に、12月から3月までの間、市民の来館を無料にしました。無料期間の収入はどうするのかとさまざまな問題はありましたが、スタッフの協力もあり、それらの問題はクリアすることができました。その結果、収益は減らさず、来場者数を増やすことができました。また、来館者の中身を調べたところ、初めて来た人、2回目に来た人が3割で、これまで博物館に関心の薄い人たちに来てもらうことができました。
島田博物館を認知してもらうために尽力された上で、具体的にどのような方法で広報されたのでしょうか。
私の得意分野なのですが、プレスリリースを投げかけました。予算がないので、お金のかかる広告ではなく、新聞、ラジオ、テレビに記事や話題にしてもらいました。民放テレビ4社やNHK、3大紙、地元紙などに「今度、島田博物館ではこういったことをやります」、「市民の来観料を無料にします」、「全国から愛称を求めます」などの話題を合計10社に投げかけ、掲載してもらいました。また、「エリア名がヒストピア島田に決まりました」という結果もプレスリリースしました。そうした活動を続けることで島田博物館の認知度が高まりました。
山本委員(左) 原委員(右) |
ヒストピア島田を認知させるためにメディアを活用する以外でどのようなことをされましたか。
メディアの効果はとても大きく来館者は大幅に増えました。ただ、メディアなど他人任せにするだけでなく、自分たちでも独自に情報発信できるようにホームページを新しく作りました。厳密には既存のホームページはありましたが、島田市のホームページを経由しないと見られなかったので、独立したホームページを作り直しました。
ホームページは情報の母艦です。母艦からSNSにつながって広がっていくためには新しいホームページの作成は必要不可欠でした。ただ、ホームページは現状更新だけ行っている状態で、とても見やすいホームページとは言えませんので改善が必要です。
自前の情報発信ツールとしてのホームページ、他の力を借りた情報発信としての各メディア、これらを合わせていかないと、さまざまな層の人たちに伝わっていきません。そうした意味では今後の学芸員に求められるのは、学芸員の業務にプラスして、広報能力が求められると思います。
こうした情報発信に全力を注いだ結果として2016年度には「音にきこゆる~島田の刀鍛冶と天下三名槍~」という好評企画もありまして、分館と合算して57,000人と開館以来最高の来館者になりました。
そのような躍進を続ける中、博物館のさらなる課題は何だと思われますか。
課題は多々ありますが、まずは博物館の敷居がまだ高いこと。外国の来館者向けに表記案内が外国語になっていませんし、案内標識も小さく場所も分かりづらい。
また、大井川鐡道、蓬莱橋、博物館とありますが、まだ観光名所同士の繋がりが強くないので、如何にしてさらに繋がりを強めていくかが課題となります。来館者にとって親しみやすい博物館にするために、少ない人材の中でこれらの改善が必要です。
蓬莱橋 |
そして、これは課題というよりも挑戦なのですが、異業種交流ではなく、異業種格闘をしていきたいと思います。例えば、俳句との格闘では、収蔵している花鳥風月が描かれた作品を見て頂き、一句作ってもらいました。また、刀剣をテーマにした若い女性に人気のゲームに乗じる形で格闘し、収蔵している刀剣のほか、御手杵の槍を含む天下三名槍を博物館に集め、展示しました。
ファッションや車など博物館とあまり交わらない分野とぶつかることで、凄まじい熱量が生まれます。その熱量を好奇心の湧き立つ革新へと転じさせ、来館者に喜ばれる企画をこれからも生み出していきます。そのためにも常にアンテナを立て、何が話題になるか、何が大きな熱量を生み出すか模索し続けたいと思います。
そうした活動を通して、ヒストピア島田を拡大していき、最終的にどこを目指すか、考えていきたいと思います。
島田市博物館 |
今後の展開はどのようにお考えですか
今まで日本人に人気の観光、旅行先と言えば西洋を中心にした海外でしたが、クールジャパンが海外で話題になり、逆に国内の観光に目が向いてきています。なので、今後の博物館として、地元の人も県外の人も好奇心を持てる展示、大人も子供も楽しめる展示を企画しています。
また、2020年には東京オリンピックを控えていますから、外国からの来館者を増やす絶好のチャンスです。そうした、2020年東京オリンピックに向けた仕掛けも準備しなければなりません。
博物館の集客力が島田市全体に経済効果として波及してくれれば、博物館としてこれ以上嬉しいことはありません。さらに来館者を増やしていくために、地方から都市部へ向けて、情報発信、広報に今まで以上に力を入れていきたいと思います。
好評企画「音にきこゆる」のポスターと共に全員で1枚 |