「人の集まる街づくりと静岡まつり」

株式会社青山工務店
代表取締役 青山弘己

東棚

 私が静岡まつりに関わるようになったきっかけは、静岡青年会議所で、市民会議準備委員会の担当となったのがきっかけでした。

 1984年に人の集まる街づくり市民会議が発足して、当初のメンバーに入りました。街づくりを考えるなかで、「青葉通りに関する提言書」を静岡市に提出し、青葉通りが駐車場からイベント広場にと変わりました。イベント広場となった青葉通りの使い方として、「静岡まつり」の開催中に夜の催し物が何もなかったので元青葉通りにあった近隣のおでん横丁の店舗の皆様に出店していただき、1986年から10年間「青葉通り夜の静岡まつり」を開催いたしました。

夜の静岡まつり
夜の静岡まつり

 その縁で、今まで静岡市が事務局をしていた「静岡まつり」を実行委員会形式変えようと1994年第38回静岡まつりの時に第40回に向けた研究会・企画委員会が立ち上げられ、市民会議のメンバーが多数、準備委員会に入り第40回からの新しい企画を考えていきました。

 1996年第40回静岡まつりが実行委員会形式で開催され、準備委員会の多くのメンバーが実行委員会に移り運営に参加してきました。

 新しい静岡まつりの企画は夜桜乱舞・登城行列・メイン会場が駿府城公園になるなど、参加型の人の集まる仕組みを作っていくことを考えてきました。

 静岡青年会議所も静岡まつりにはジャンボ綱引き大会、おまつり広場などの行事に参画していましたが、第40回からは、新しく駿府城公園内の「こども城下町」の運営に協力しています。

 静岡まつり実行委員会の役員として最初から参加し始めて、奉行・副実行委員長・実行委員長と二十数年が経ちました。

 大御所花見行列の構成も役柄などが多少変わり、第40回以前は、市長、議長様などが大御所役をやられていましたが、第40回からは俳優さんに大御所役をやってもらっています。

 御台所も、最初はミス静岡(第29回から第56回まで)でしたが、実行委員会選定と変わってきました。

 第47回新「静岡市」誕生記念 駿府楽々道中、第50回記念、第51回大御所四百年祭、第57回ディズニーパレード、第59回徳川家康公顕彰四百年祭、第60回記念事業等特別事業もたくさん経験してきました。

夜の静岡まつり

 特に私が実行委員長になって最初の第55回静岡まつりが東日本大震災の年で62回の歴史の中で初めて中止の年となってしまいました。

 また第60回静岡まつりでは、大御所役を賛否がいろいろありましたが初めて女性の方になっていただきました。

 配役によるところが多いと思いましたが、結果的には多くの賛同を得ました。

 近頃では浅間神社廿日会祭に大御所役・ 四天王役が参拝に行くなど、第40回当初の実行委員会は政教分離を基本的な考え方にしていましたので、廿日会祭とは、なるべく関わりを持たないようにしてきましたが、ここ数年の間に浅間神社との関わりかたにも変化がみえてきています。

夜の静岡まつり

 今後は、駿府城公園の整備、歴史文化施設の建設、市民文化会館の建て直し、市街地の交通規制等、静岡まつりを運営するにあたっての課題が山積みですが、地元静岡に根付き近隣地域から、または他都市から集客できるイベントに成長してゆく人の集まる街づくりに貢献できる「まつり」になればよいと思います。