■桜ケ池
御前崎半島県立自然公園の一環にあり、県の自然森百選にも選ばれている「桜ケ池(さくらがいけ)」。約2万年前にできた砂丘堰止湖で、広さは約2万平方メートルにのぼる。平安時代末期に比叡山の高僧、皇円が苦しむ人々を救済するため当時一番長生きすると信じられた龍に姿をかえ桜ケ池に鎮まられた。
それ以降、願いを叶えていただける龍神様として広く信仰をあつめている。湖畔にたたずむ社殿は市の有形文化財に指定されていて、社殿の中には徳川慶喜揮毫の扁額が掲げられている。
開運厄除と延命長寿、大魚満足、海上交通の神として知られる。秋の9月お彼岸の中日には県指定無形民族文化財である「お櫃(ひつ)おさめ」が行われる。
池ノ畔で亀が甲羅を乾かす。 大きな鯉も泳いでいる。ゆったりとした時間がながれていた |
お櫃納めの際には、写真中央の壇付近から池の中へ入っていく |
■池宮神社
創建の時代は、584年と伝えられている。残念ながらそれ以前の歴史について知る手がかりは、本殿とともに戦国時代の徳川・武田両軍の戦火で消失してしまったという。本殿は、1751〜1763年に再建された。
拝殿内に掲げられている扁額は、江戸幕府第15代将軍であった徳川慶喜が揮毫したもの。慶応4年の1868年5月30日に奉納したとされている。2016年に同神社が依頼した鑑定により、慶喜直筆のものと証明された。
幕府とのつながりは池宮神社神官の出の隆船が、江戸幕府の重臣の関口家の養子となったため。なお、隆船の次男である、関口隆吉は 17歳で隆船の跡を継ぎ御持弓与力となる。その後、大政奉還を迎え、翌年の江戸城明け渡しに立ち会った。幕末の事後処理や牧之原台地開墾と茶園造成に尽力した。明治19年に初代静岡県知事に任命され、東海道線の開通などに携わった。
池宮神社の案内図 |
東側の鳥居 |
入り口となる鳥居は2箇所ある |
池ノ宮神社の拝殿。奥には弊殿と本殿が並ぶ |
拝殿内部の扁額。「三つ葉葵」の金具が徳川家の家紋。 「葉三花三紋」の金具は神社宮司・佐倉家の家紋だ |
■お櫃納め
毎年、秋分の日に開催される遠州七不思議の一つになっている神事。
身を清めた地元の若人数十人がふんどし姿で立ち泳ぎという古来の泳ぎ方で、池の中心までお櫃をもっていき沈めていく行事である。毎年70櫃程度納められる。 お櫃は直径40センチ、高さ28センチの桧製の器に赤飯約6キロ分を固く詰め、その上に御幣を五本ずつ立てたもの。
数日すると、水面にお櫃が浮かんでくる。空の場合は、神慮に叶ったことになり、中身が残っている場合は神慮が叶わなかったことになるという。
納めたお櫃が、遥か遠くの長野県諏訪湖に浮かんでいたという言い伝えがあり、桜ケ池と諏訪湖がつながっているのではという伝説も残っている。
五穀豊穣と心願成就の祈願と感謝を合わせ持つこの神事には、日本全国からお櫃を納めたいという人達がくるという。
池ノ宮神社の拝殿。奥には弊殿と本殿が並ぶ |
|
18~30歳までの若者十数人が立ち泳ぎで行事を行う |
拝殿内部の扁額。「三つ葉葵」の金具が徳川家の家紋。 「葉三花三紋」の金具は神社宮司・佐倉家の家紋だ |
■神社資料
平成11年に開館し、お櫃や書画などが納められている。
右側から2本目の掛け軸が本居宣長によるもの |
資料館内部の様子。 神船のミニチュアや神輿の他、国学四大人である「賀茂真淵」「本居宣長」「平田篤胤」らの作品が展示されている」 |
写真左側の短冊は勝海舟直筆のもの「仏の座 蓮華たんぽぽ うら枯れて ただしけれるは 鬼の醜草」と記されている |
|
初代静岡県知事・関口隆吉の自画像。西郷隆盛や勝海舟と親交を持っていた。1889年に列車事故の怪我がもとでこの世を去る |
佐倉さんが持っているのがお櫃。家内安全と交通安全、病気平癒などの願いと名前、住所を書いて桜ケ池に沈める |
池宮神社の禰宜を務める佐倉信道さんは「9月に執り行われるお櫃納めには毎年、多くの方に来ていただいております。是非、皆様もお越しください」と笑顔を見せる。
お櫃納の申し込みは、9月10日頃まで随時受け付けている。
池宮神社 |
〒437−1604 御前崎市佐倉5162 |
電話/FAX 0537−86−2309 | 東名高速道の菊川ICから約40分 |
【御前崎市ホームページ】池宮神社
https://www.city.omaezaki.shizuoka.jp/soshiki/shokokanko/kankospot/ikemiyajinjya.html
【御前崎市ホームページ】桜ヶ池
https://www.city.omaezaki.shizuoka.jp/soshiki/shokokanko/kankospot/sakuragaike.html