天守閣から城下を眺めた時の主は何を思ったのだろうか...。 |
日本のほぼ中央に位置する掛川市。日本の二大都市の東京と大阪の中間、静岡県の二大都市である静岡市と浜松市の中間に位置した、「まん中都市」です。 山と海、茶畑が連なり、市の総面積の半分は林野が占め、約10㌔にわたって続く遠州灘海岸は毎年、アオウミガメが産卵にやってきます。 市の玄関となるJR掛川駅は全国の新幹線駅で唯一の木造駅舎でもあります。 そんな掛川市の中央に位置する掛川城。今回は、東海の名城といわれた「掛川城」を紹介させていただきます。
みなさん、掛川城のことを知っていますか? 名前だけは聞いたことがあると言う方が多いのではないでしょうか。 1994年に日本初の本格木造で再建された掛川城は、2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」で有名になりました。 元々、掛川城は室町時代に駿河の守護大名・今川氏が遠江への進出を狙い、家臣の朝比奈氏に築城させたのが始まりです。 今川義元が桶狭間の合戦で織田信長に敗戦すると、今川氏は力をなくし、徳川家康に明け渡されることになります。 1590年に家康が関東に戻ると、掛川城には"内助の功"で有名な山内一豊が入城。城の改築を進め、天守閣を築くとともに、城下町の整備を行いました。
~~掛川城御殿~~国の重要文化財に指定されている。城主の公邸、藩の役所、式典の場として使用された。江戸時代後期に再建された建物が、今でも現存している。
~~大手門~~掛川城の表玄関にふさわしい楼門造の本格的な檜門。白壁で板ひさしが配され、棟の上にはシャチ瓦が飾られている。
~~掛川城メモ~~天守閣は、外観3層と内部4階で構成されている。天守閣本体は、約12㍍×10㍍。他の城と比べると大きくはないが、東西に張り出し部を設け、入り口に付櫓を配すことで外観を大きく、そして複雑に見せている。
~~プチッと紹介~~東海を制す重要な拠点だった掛川城にはさまざまな言い伝えが残っています。「霧噴井戸」もそのひとつ。西から徳川家康、東から武田信玄に攻められた今川氏真は、重臣の朝比奈泰朝がいた掛川城に逃げ込みます。家康が総攻撃を仕掛けた時、天守台の脇にある井戸から霧が立ち込め、城を覆い包み攻撃を防いだというのです。居間での、その井戸は今でも残っています。
~~掛川城~~【掛川市ホームページ】 ~~周辺情報~~■大日本報徳社 二宮金次郎で知られる二宮尊徳が唱えた「報徳の教え」を実践し、全国に広める報徳運動の本部。経済と道徳の調和を説いた尊徳の教えは、「至誠・勤労・分度・推譲」の精神が基本。
【掛川市ホームページ】 ■ステンドグラス美術館 日本初となる公立のステンドグラス美術館。19世紀のイギリスの名品「ステンドグラス至宝の光」が展示されている。
■松ケ岡(旧山﨑家住宅) 江戸時代に建てられた掛川藩の御用商人・山﨑家の住宅。1878年に明治天皇が滞在された。 【掛川市ホームページ】 どの名所も、掛川城から徒歩ですぐのところに位置します。戦国時代の歴史に思いをはせながら街を歩いてみてはいかがでしょうか。 |