株式会社伊藤組
代表取締役 伊藤 雅文
エチオピア・サウスオモで少数民族ハマー族の儀式ブルジャンピングを見学したときの一枚。 |
65歳を過ぎた今も、私は冒険をしています。それは海外旅行です。今や多くの人が海外に行きますので、冒険と言える程のことでもないかもしれませんが、私にとっては冒険なのです。
私は一人で動きます。全て自分で手配します。しかも極力お金を使わないケチケチ旅行ですから、タクシーはほとんど使わずバスや列車を使います。バス一つに乗るにしても、果たしてこのバスは私が行きたい所に行くバスだろうか? 運転手に地図を差し示し地名を伝えたつもりだけれど、果たして通じたのだろうか? 降りたい場所のアナウンスが聞き取れるだろうか? 乗り過ごさないために必死で停留所の名前を見る、次の停留所の名前は何だろう? 中学1年程度の英語力の私にとっては、何をするにもおっかなびっくり。どうなるかわからない不安が常にあります。まして言葉の通じない場所では、行動の全てが冒険そのものです。
それだけに、思い通りのことができた時のうれしいこと。地元の人に助けられた時のうれしいこと。素晴らしい景色に出会えた時の喜び。美しいものに出合えた時の感動。これらはひとしおです。私一人の自己満足かもしれませんが…
私が「パタゴニアに行ってきました。」と旅行を振り返るときには、単にそこに行ってきたという以上にたくさんの小さな冒険が詰まっています。私の思い出深い旅行たちのほんの一部をご紹介します。どうぞお付き合いください。
トルコ ウフララ途次。荷台のスーツケースを支える横木は、建築現場のおじさんに頼んで分けてもらったもの。 |
トルコ ローズバレー。偶然見つけたレンタルスクーターでこの美しいグラデーションの大地を駆け回った。 |
インド レー。すさまじい大地の摺曲は、さすがヒマラヤ山脈の西端だ。 |
インド レー。6月といえども、標高3500mはバイクで走っていると寒い。ポンチョまで風よけに着込む。 |
29歳のときに行った新婚旅行で、2人でレンタカーを借りヨーロッパを回ったときに、自分たちで計画を立て行く楽しみを知りました。それからはマイルをためては無料航空券で2年に一度くらいずつ海外へ、という形で、これまでにのべ35カ国、渡航日数は256日間に及ぶ海外旅行生活を続けています。1回の旅行では3週間くらいの行程を取っています。
一人で海外旅行に向かうことの一番の魅力は「スリル」です。子供の頃から肝試しなども大好き。予想もつかないことが起きるワクワクとした気持ちが、私を次の旅行へと駆り立てます。行く先はできるだけ人の選ばない、先進国の近くの国を選ぶことが多いですね。とはいえ最近はだんだんディープな国を選ぶことが増えましたが… 観光客慣れしてない国や地域に行くと、人懐こい人たちが多く、コミュニケーションがとても楽しく感じます。
行った先では一眼レフを持ちこみ、一度の旅行で2000枚くらいの写真を撮って帰ってきます。
中国 玉龍雪山。強風の為ロープウェーは閉鎖。無念! ヤクの背に乗って気分転換。 |
中国 シャングリラ(香格里拉)。丘の上に立つ金色の松賛林寺は雲南省最大のチベット寺院。 |
今までの旅行を振り返って一番強烈だったのは、中国のタシュクルガンでの一件でした。ちょっと振り返ってみます。
2016年5月3日、中国とパキスタンの国境に最も近い中国側の街、タシュクルガン。私はその街で、冬の閉鎖期間を終えて再開されるパキスタン行きのバスを今日か明日かと待っていました。その日の朝にバスステーションに行かないと、今日出るのかどうかわからないのです。待ちぼうけをくらった2日目、街の中心部は昨日大体歩いてしまったので、今日は南の険しい山の方に向かって歩き出しました。歩き始めて1時間ぐらいたったでしょうか、少し山が間近に迫ってきました。高い頂はやりのように鋭く天を突いています。いかにも中央アジアの山岳らしく、厳しく雄大な風景。私はこういう景色に出会いたいから、大変だけど一人で安旅行に出るのだ、と気持ちも盛り上がります。
途中では、2人乗りのバイクの人が、態々止まって先には行けないと教えてくれました。でも目の前には、遮るものもなく道が遠くに延びている。ダメな所まで行ってみるしかない。パキスタンでもこういうウォーキングをしようと思っているのだから進もう。2時間も歩けば、結構あの険しい山の裾ぐらいには行けそうだ…。
そのうちポリスと書いたランクルが来て、パスポートを見せろ、車に乗れと言います。何事だろう、残念だけど従うしかない。車に乗せていってくれれば帰りは楽ちん、ラッキー! と思っていたら、とんでもなかった。ホテルではなく、警察署らしい建物に入れと。通された部屋には、とても仕事で使われているように見えない机と椅子が置かれています。パスポートを渡し、カメラの写真を見せられながら、質問に答えます。ここで拘束されて帰国できなくなっても、誰も私を気に掛ける人はいない。周りに私を知る人は誰もいない。日本では、中国辺境で日本人男性1人が行方不明とでも取り上げられてお終いだろう。海外で行方不明になるとはこういうことなんだな…と不安が募ります。
しばらくして、メル・ギブソンみたいな人が来て、一緒に来いと言います。えっ、ホテルまで乗せて行ってくれるのかな? ところが甘かった。さらに上の警察みたいな場所に車で連行され、待たされること30分ぐらい。若い男が来て、彼の部屋に連れて行かれました(部屋には出入国管理?と書いてあった)。同行した地元警官の話を一通り聞いて、彼らは帰されました。私のパスポートを見たりバッグの中を調べたりしている内に、カメラの写真を消そうとし始めます。思わず私はカメラに飛びつき、Why delete my photo.Many people take photos around Stone City and on the street.と訴えました。
彼は、「おまえがいた所は国境地帯で写真撮影が禁止されている。だから消すと言います。しかし、私にとって写真は旅そのものと言っていい大切なもの。さらに昨日訪れた街中の遺跡 石頭城(StoneCity)から見られた風景は、今消されようとしている写真と同じ山々です。同じ写真なのに、なぜ消されなくてはいけないのか。
彼は、私が歩いていた場所が国境エリアで撮影禁止の場所なのだと言います。しかし私は何の看板も見なかった。基本的に私は悪いことをしていないし、写真を消される理由もない。大使館がそうしろと言うなら、仕方ない。その時こそ従うしかないな。ところで私は、今晩ホテルに帰れるのだろうか? などと思いが巡ります。
ここでも1時間半ぐらい拘束されたでしょうか。結局、帰っていいですと言われました。「カメラはホテルに届けます。写真を消さずに届けます」と。ああ、良かった。わかってくれたのかな。私は頭を下げて、「謝謝
。感謝を込めて両手で握手しました。
ひと安心して夕食を済ませ、日記を書いていれば、約束通り21時過ぎに部屋にノック。部屋に入ってよいかと言う。なぜ?簡単にカメラを返すだけじゃないの? 結局先ほどの応酬の繰り返しに。しばらくのやり取りの後、彼らがサインすることを条件に、私も観念して、写真を消去することに同意しました。一枚一枚皆で見ながら、私のdeleteの許可を仰いできます。私自身が写っている写真一枚は、辛うじて残してくれました。結末としては、致し方ない。握手をして別れました。「ようやく終わった。疲れた。とても長い一日でした。
こうして3年後に振り返ってみると、随分と世界を知らないままで無茶をしたなと思います。危うくスパイ容疑で逮捕されてもおかしくない状況でした。
中国 タシュクルガン。唯一残してくれた写真。背後の山の向こうはアフガニスタンだった。 |
これから行きたいのは、皆さんが行っているような先進国。
一人で行く旅行は何かとエネルギーを使い、結構疲れますので、気を使わずに済む国をのんびり旅したい、と思うようになってきました。英語は相変わらず不得手ですが、メモとイエス・ノーでコミュニケーションは何とかなる、と信じています。