静岡県西部地区は「ものづくりのまち」として多種多彩な産業が発展している。優れた起業家や研究者により、現在ではスズキ、ヤマハ、ホンダ、カワイ、浜松ホトニクス、ローランドなど世界を舞台に活躍する企業が数多くある。トヨタグループの創始者である世界的発明家の豊田佐吉は1867年(慶応3年)に湖西市に生まれた。佐吉の志は自動織機の発明にとどまらず、「障子を開けてみよ 外は広いぞ」と世界に目を向けて考えることの大切さを伝え、自動車をはじめとする日本の産業の著しい発展の礎となった。

 今回、佐吉の心に少しでも触れてもらおうと湖西市山口に復元した生家などがある「豊田佐吉記念館」をはじめ湖西市内の名所を紹介する。技術立国発祥の地となったこの地で、ものづくりに対する佐吉の情熱を少しでも感じていただきたい。


豊田佐吉記念館


 佐吉の生家が当時に近い形で復元されており、また、佐吉が40歳の頃、両親のために建てた母屋、物置が現存している。この他、若い頃に研究に没頭した山口観音堂や、少年時代に遊んだ裏山など、できるだけ当時の姿で残るよう配慮されており、屋敷全体が豊田佐吉の生い立ちや業績などを十分うかがえる記念館として保存されている。展示室には佐吉の発明した織機や特許証、ゆかりの品を展示しており、豊田式木製人力織機、糸繰返機、木鉄混製動力織機、G型自動織機、小学校卒業証書、特許証、佐吉の発明した織機パネル、絵で見る佐吉伝他、文献などを見ることができる。


佐吉の発明した主な織機

豊田式木製人力織機(1890年 明治23年) 糸繰返機(1894年 明治27年)
佐吉が発明した最初の織機。両手で織っていたものを、片手でおさを前後させるだけで、シャットルも左右に走るように改良し、4~5割も早く織れるようになった
木鉄混製動力織機(1896年 明治29年) G型自動織機(1924年 大正13年)
佐吉が究極の目標とし、当時、世界で最高性能の完全な自動織機として完成させた。この発明・完成は、日本での産業近代化の先駆けの一端をなした。また、世界的に認められ、当時のトップメーカーだったイギリスのプラット社に100万円で特許権を譲渡した。これを資金に国産自動車の研究開発が進められた

豊田佐吉生家(1990年10月復元)

 佐吉の父、伊吉が佐原家から独立して豊田家を継いで住んだ。佐吉、平吉、佐助、はんが生まれ、後にトヨタ自動車を創設した佐吉の長男・喜一郎もここで生まれた。

山口観音堂

 若かりし頃、「これからの時代は勉強しなければ」とその必要性を説き、村の青年を集め、この観音堂を借りて夜学会を開いた。どんなことがあっても1日も休まないことを誓い、毎晩、時には朝まで夜学会は続けられたという。

湖西市内の名所

 東海道の宿場町として栄えた湖西市。街並みや文化的に貴重な建築・芸術から、歴史のロマンを感じることができる。また、緑豊かで親しまれる湖西連峰、はるか水平線をのぞむ太平洋や浜名湖に囲まれた自然豊かで温暖な気候の美しいまち。

新居関所〔国指定特別史跡〕

 1600年に徳川家康により設置された。当初は幕府の直轄だったが、1702年以降は吉田藩の管理となった。関所は自然災害で2度の移転を強いられ、現在に残る建物(面番所)は1858年に再建されたもの。


本興寺〔国指定重要文化財〕

 三方を山に囲まれており、四季折々の景色が楽しめる。北原白秋が魅せられた庭園、国宝や多くの指定文化財、別名「文晁寺」の由来にもなった襖絵は一見の価値あり。

遠州新居手筒花火(諏訪神社奉納煙火)〔市指定文化財〕

 二夜にして2000本余りの手筒が闇空を彩る。愉快なお囃子の中、さまざまな衣装に身を包んだ男たちが花火を抱え、踊り歩く姿はここでしか見ることができない。

<YouTube湖西市公式チャンネル>
新居町のみなさんから「遠州新居手筒花火」開催のお知らせ
新居町のみなさんから「遠州新居手筒花火」開催のお知らせ 遠州新居手筒花火
~伝統を紡ぐ男たちの軌跡~前編(ウィンディ制作)

海釣公園

 絶好の釣り場ポイント。多くの人が年間を通じて訪れている。夏はクロダイ、シロスギ、スズキ、アジ、初秋はセイゴ、ハゼ、冬にはカレイなどが釣れる。

潮見坂

 湖西市白須賀元町から延びている急勾配の登り道が潮見坂。東海道を東に向かった旅人が初めて海を目の当たりにするのがこの場所で富士を眺望できたのもこの地。明治天皇が初めて東京に行幸した時、この潮見坂の上で休憩したことも知られている。


トキワマンサク北限群生地

 静岡県指定天然記念物で4月中旬ごろに白色で糸状の花が咲く。群生地は全国で3カ所のみ発見されていて、特に神座地区のものは北限に位置し、日本最大級の極めて貴重な自生地。