丹那トンネルと丹那神社の歴史を語る田島会長(右)と佐野茂樹委員長(左) |
毎年4月1日、熱海・函南間のトンネル「丹那(たんな)トンネル」での事故で亡くなった67人を慰霊する丹那神社例祭・丹那トンネル感謝祭が行われています。現在は丹那神社奉賛会が中心となって執り行っており、「熱海」の発展の礎であり、日本の近代化に付与した「丹那トンネル」の成果とそこで起きてしまった犠牲を日々、後世に語り継いでいます。
同会の代表である田島秀雄会長から、丹那トンネル完成までの偉業と苦労の歴史を伺うとともに、同会設立の経緯と今後の活動などについて聞いていきます。
丹那トンネル |
皇紀で刻まれている建設開始・完成年数 |
現在は奉賛会により整備され、毎年祭事を行う丹那神社 |
丹那トンネルは1934年に開通した東海道本線の熱海駅―函南駅間にある複線規格の鉄道トンネルです。1918年に着工となった工事は当時の鉄道用複線トンネルとしては国内最長(全長7804メートル)であり、開通後には熱海や伊豆への交通の便は良くなり地域経済の発展に大きく寄与しています。また、新工法が活用された工事でもあり、「セメント注入法」と「圧搾空気掘削工法」が初めて実用化された工事となっています。
一方で、同工事は難工事でもありました。丹那盆地の真下であった同工事は大量の湧き水との戦いであり、排水量は6億立方メートルに達し、水抜きトンネルは総延長1万4500メートルにもなりました。また、1921年には熱海口工事現場約200メートル付近で、崩落事故が発生し33人が巻き込まれ、17人が救出、16人が亡くなりました。それ以降も崩落事故や地震による被害が起こり、最終的には67人が亡くなっています。
田島氏は「丹那トンネルは機能的にも歴史的にも大きな役割を果たしていると思っています。丹那トンネルは建設開始が1918年で完成が1933年ですが、トンネルには2578年と2594年と刻まれています。これは当時の日本の時代背景から皇紀(西暦前660年)と合わせた数字だと考えられます」と丹那トンネルの魅力を語りました。
現在は丹那神社奉賛会が管理し、祭事を行っている丹那神社ですが、当初は日本国有鉄道が執り行っていました。田島氏は「国鉄分割民営化になるまでは、盛大に祭事を行っていました。しかし、民営化後は祭事が中断されている状態で、草木が生い茂りごみが散乱していました」と当時を振り返りました。「その後は地元有志によりお化粧直しを行い、祭事を継続していましたが、少数の力では継続できないと感じ、来宮神社前宮司(雨宮治興)様に相談、奉賛会を立ち上げることになりました」と奉賛会発足の経緯を語りました。
「1995年に発足した奉賛会では毎年4月1日の第一日曜日に例大祭を行い、犠牲になった67人の霊を慰めています。来宮神社の宮司様を招き、神事を行ってもらう他、熱海市長を始め、現在のトンネル管理者であるJR東日本、JR東海の熱海駅長など関係者の方々に参列していただいています」と話しました。
丹那神社では慰霊を祀っている他、工事で命を落とした方全員が刻まれている殉職碑や1921年に起こった崩落事故で作業員を救った「救命石」があります。「救命石」の由来について田島氏は「崩落事故で33人が巻き込まれた事故ですが、そのうち救出された17人は掘削土(ズリド)をトロッコに送るための漏斗に大きな石が詰まり、排除作業を行っていたことで崩落に巻き込まれずに済みました。「救命石」はその漏斗に詰まった大きな石です」と語りました。「作業員の命を救った縁起の良い石として大事にしており、もっとたくさんの人に知ってほしい」と話しました。
殉職者の名前が刻まれている慰霊碑 |
最後に田島氏は奉賛会について「思いを繋ぐには続けることが大切です。今ある環境は多くの犠牲の上で得た、鉄道の大動脈をいただいているからこそです。毎年、4月第一日曜日午前10時から12時の短い時間ですが、祭事を執り行っています。ご縁がございましたら是非足を運んでください」と話しました。
作業員を救った救命石 | 未来へ語り継ぐため、日々奮闘する田島氏 |
【土木学会選奨土木遺産に認定】
丹那トンネル(静岡県熱海市、函南町)
丹那神社(熱海市福道町8)入口にプレートが設置されています。
選奨土木遺産は、公益社団法人土木学会(東京都新宿区)が近代土木遺産(幕末から1945年)の顕彰を通じて、社会や土木技術者へのアピールや地域づくりへの活用、歴史的土木構造物の保存に資することを目的に2000年度に創設された。
2019年に認定された旧熱海線鉄道施設群は、大正から昭和にかけて、建設された土木施設。酒匂川橋梁、白糸川橋梁のほか、丹那トンネル(静岡県熱海市、函南町)・桑原川橋梁(函南町)が含まれている。