河津の鳥精進酒精進

 河津の鳥精進酒精進(かわづのとりしょうじんさけしょうじん)は、静岡県賀茂郡河津町田中の 杉桙別命(すぎほこわけのみこと、河津来宮神社の主祭神)の氏子の間に伝わる風習。

 昔、河津の郷に杉桙別命(すぎほこわけのみこと)という、お酒の好きな神様がいました。ある年の12月、神様は山の見回りに出かけたおり、いつものように一休みしてお酒をのみ、ウトウトと眠ってしまいました。しばらくするといつの間にか燃え盛ってきた野火が、神様のまわりに燃え広がっています。あわてた神様は剣を抜いてまわりの草を払いましたが、火は迫ってくるばかりです。その時、天の一角から小鳥の大群が飛んできて、河津川に飛び込んでは濡れたハネをはばたき時雨のようなしずくを降らせ、ついに野火を消してしまいました。危うく命が助かった神様は鳥たちに礼をいい、それ以来大好きなお酒をつつしんで、郷の平和の為に力を尽くしました。

杉桙別命(すぎほこわけのみこと)杉桙別命を主祭神とした来宮神社

 杉桙別命は来宮神社の祭神として祭られ人々の進行の的となっています。神様が助かった12月17日から7日間小鳥に感謝し、お酒を飲まない、鳥と卵を食べないこととし、この「鳥精進・酒精進」の習わし今でも守られています。

来宮神社の御朱印

ご挨拶に伺った時にいただいた見開き御朱印。

大楠季節限定稲穂
杉桙別命神社の大クス

来宮神社の大クス

 杉桙別命神社の大クス(すぎほこわけのみことじんじゃのおおクス)は、静岡県賀茂郡河津町の杉桙別命神社境内に生育するクスノキの巨木である。樹齢は1000年以上と推定され、1936年(昭和11年)12月16日に国の天然記念物となりました。

 この木はかつて河津地方にあった「河津郷七抱七楠(かわづごうななかかえななくす)」という7本のクスノキは、杉桙別命神社の他、谷津南禅寺、峰東大寺、見高入谷山神、下佐ケ野平山の水神、下佐ケ野金山神、北の沢山神にあったと伝わります 。これらの大クスは明治時代の中期までに伐採され、そのうち、最後に残された1本が、杉桙別命神社の大クスです 。地元の人々は「来宮様(木の宮様)の大クス」、「来宮神社(木宮神社)の大クス」とも呼んで尊崇しています。「河津郷七抱七楠」の伝承やこの木が示すクスノキ本来の枝下が高い樹形は、かつての河津町界隈はクスノキの樹林であった証拠ともいわれています。

例大祭

 毎年 10月 第3土曜日、日曜日[2日間]山岡鉄舟書の大幟旗(おおのぼりばた)が掲げられます。

 「どぶろく開き」の儀式が行われ、宮司が仕込んだ「神の酒」を祭神にささげた後、訪れた見物客にも振舞います。

 この儀式は毎年10月の例大祭で行われ、地元の神話「鳥精進・酒精進」にちなんでいます。この祭りでは、酒好きの主祭神「杉鉾別命」を祭り、どぶろく作りを許可されている川津来宮神社で行われます。どぶろく開きの儀式では、宮司が仕込んだ「神の酒」を祭神にささげた後、訪れた見物客にもふるまわれます。神社の伝統にまつわる「鳥・酒精進太鼓」が演奏されます。この儀式は豊作や無病息災への願いをこめて行われ、地元の人々にとって大切な行事となっています。

大幟旗(おおのぼりばた)例大祭

来宮神社の氏子

 この神社の氏子は12月18日から23日まで鳥肉や卵を食べず、酒も飲まない「鳥精進・酒精進」という風習があります。この行事は、現在でも町内外の氏子や崇敬者により守り伝えられております。 12月17日の夜は氏子達が来宮神社境内に集まり、鶏肉の入った鍋などを食べながら禁酒前最後となる酒を酌み交わします。そして「やめます!」の掛け声とともに盃の酒を飲み干すと祭壇に杯を奉納し我慢の6日間に入ります。

河津の鳥精進酒精進

 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 河津の鳥精進酒精進(かわづのとりしょうじんさかしょうじん)は、静岡県賀茂郡河津町田中の 杉桙別命(すぎほこわけのみこと、河津来宮神社の主祭神)の氏子の間に伝わる風習。伊豆七不 思議の1つである。 昔、川津の郷に杉桙別命(すぎほこわけのみこと)という武勇に優れた男神がい た。ある日のこと、命が酒に酔い野原の石にもたれ眠っていると、そこに野火が起 こりあっという間に周りを囲まれてしまった。そこに無数の小鳥が飛んできて河津 川から水を運び火を消し、命は難を逃れた。 この出来事の後から杉桙別命は、酒を慎み村人にも一層慕われる事となった。 この伝承に由来して、河津では命が災難にあった12月18日から12月23日の間[1] 鳥を食べない 卵も食べない お酒を飲まない という「鳥精進酒精進(とりしょうじんさけしょうじん)」が守られており、この禁を破ると火 の災いに遭うと信じられている。いまでも、給食のメニューから鶏肉・卵が外されるなど風習が 守られている。
 クスノキの巨木が多く生育する地域である 。クスノキは温暖な気候を好むため、巨木の多くは西日本に存在し、静岡県を含む東日本には少ない 。もともと日本には自生していなかった樹木とされ山野での生育は見られず、原産地は台湾、中国南部、ベトナムなどの温暖な地域といわれる 。これらの地域から氷期が終わった後(推定では10000年前頃)に渡来し、北日本を除く日本列島全体に帰化植物(史前帰化植物)として広がっていったものという説がある 。
 伊豆半島は北側を除くすべての方角が海に囲まれていて、冬でも全般に暖かい気候である 。ただし半島の西海岸については、季節風で西からの強風が吹きつけるため、真冬は寒冷な気候となる 。そのため、国の天然記念物として知られる阿豆佐和気神社の大クス(静岡県熱海市)、葛見神社の大クス(静岡県伊東市)、そして杉桙別命神社の大クスはすべて温暖な気候の半島東海岸方面に生育している 。
 杉桙別命神社のある河津町も、伊豆半島の東海岸に位置しているため気候は温暖である 。神社は峰温泉と谷津温泉の中間、河津川左岸に位置し、通称を川津来宮神社(木宮神社)ともいう 。伝承では和銅年間(708年から715年)の創建とされ、『延喜式神名帳』や『伊豆国神階帳』に記載がある従四位上「ほこわけの明神」に比定される 。一時期「木野宮大明神」(きのみやだいみょうじん)と称していたが、1869年(明治2年)に現在の社名に復した 。
 神社に続く道を歩いていくと、やがてよく茂った鎮守の森が視界に広がる 。境内には鳥居の脇と拝殿の前にもクスノキの大木が存在するが、その近くには「天然記念物の大楠は奥」という表示がある 。境内でひときわ大きく生育しているのが神木でもあるこの木で、本殿の後方左に鎮座している 。
 『神様の木に会いに行く』(2009年)の著者、高橋弘によれば、樹齢は1000年、幹周は15メートル、樹高は24メートルという 。幹の折損や空洞化などが見られる阿豆佐和気神社の大クスや葛見神社の大クスと違って、主幹には大きな空洞や樹皮の剥離などは目立たず、大枝の欠損が多少みられる程度である 。主幹はまっすぐに天高く伸びていて、樹勢盛んで健全な木である 。
 かつて河津地方には「河津郷七抱七楠(かわづごうななかかえななくす)」と呼ばれる7本の大クスが生育していた 。大クスは杉桙別命神社の他、谷津南禅寺、峰東大寺、見高入谷山神、下佐ケ野平山の水神、下佐ケ野金山神、北の沢山神にあったと伝わる 。これらの大クスは明治時代の中期までに伐採され、杉桙別命神社の大クスのみが残された 。高橋は「河津郷七抱七楠」の伝承やこの木が示すクスノキ本来の枝下が高い樹形に注目して「かつての河津町界隈はクスノキの樹林であった証拠でもあろう」と述べている 。
 地元の人々は「来宮様(木の宮様)の大クス」、「来宮神社(木宮神社)の大クス」とも呼んで尊崇し、木の周囲を常に清掃して保護に努めている 。この木は1936年(昭和11年)12月16日に国の天然記念物となった 。