ちょっと紹介特別編

『人前でギターを弾くのが若さの秘訣???』

青木建設株式会社 総務部  吉田亘宏


出身は埼玉県飯能市、昭和18年の生まれです。高校3年生の時、友人とエレキ・ギターのバンドを結成しました。当時流行の社交ダンスパーティーでの演奏や神社の祭典での素人のど自慢大会を開催したり、毎年茨城県の少年院の慰問を行ったりしているうちに様々なジャンルの曲を弾けるようになりました。よく演奏した曲には「夢のカルフォルニア」や「朝日の当たる家」などがあり、皆さんもよくご存知のことと思います。
下の写真は昭和41年埼玉国体の歓迎式典での演奏風景です。
左隅ギター演奏者が私です
左隅ギター演奏者が私です
バンド名は「ザ・シャティーファイブ」。くだけた5人組と言う意味です。当時近隣には米軍基地が多く点在していて、その周りのクラブ・BARなどに出演しておりました。そうこうしていると、私たちの演奏が認められ、基地内の将校クラブにもお呼びが掛かるようになりました。
時は昭和40年に始まったベトナム戦争(昭和50年南北統一)の最中で、基地内には負傷兵が大勢療養待機していました。そこで知り合った黒人3人(ボーカル2名、テナーサックス1名)を加え、当時流行最先のリズム&ブルースのジャンルを米軍基地内で黒人直伝の特訓を受け、バンド名も「SHADES O' SOUL」と変え、東京赤坂の『MANOS』(マノス)・『MUGEN』(ムゲン)等当時流行のGOGOクラブに週6日連続出演したり、産経ホールに出演した事もありました。
当時税務会計事務所に勤務しながらの音楽活動でしたが、「いっそプロになろうか」と真剣に悩んだこともありました。しかし「あくまで趣味で」と仲間たちで選択しました。「ドック・オブ・ザベイ」や「マイガール」などといった曲を聴くとあの頃の事をとても懐かしく思い出します。
その後結婚・3人の子どもの育児等で全くギターを手にしなかったのですが、神奈川県湯河原に移り住み、会社(青木建設)勤めの傍ら温泉場入り口で息子が営む居酒屋を手伝いながら、今は※アコースティック・ギターの弾き語りや、お客さんの歌の伴奏をするようになりました。
※ここでアコースティック・ギター豆知識
     アコースティック(acoustic):意味は音響。
     または楽器本来の響きをもつさま。
20世紀に入って発明された、エレキ・ギター(エレクトリック・ギター)と区別する為に生まれた呼び方。その種類の中には、クラシック・ギター、フォーク・ギター、フラメンコ・ギターなどがあります。
起源は大変古く10世紀のスペインの文献や13世紀のヨーロッパの細密画に確認する事ができ、しかもその発祥の地は西洋ではなく東洋と言われております。
そして、他にもアコースティック・ギターとしてウクレレや日本の月琴、三味線、琵琶なども仲間だそうです。
私の仕事場?(居酒屋「福」の片隅です)
私の仕事場?(居酒屋「福」の片隅です)
お客さんの歌の伴奏
お客さんの歌の伴奏
炭完成
【恥ずかしながら私のソロ、曲は「ベサメ・ムーチョ」
(besame・mucho=熱くキスして)】
バンド出身の経験を生かして、歌謡曲からラテン、ロック、映画音楽などリズムボックスを使って生バンドの演奏っぽくするのがお客さんに喜ばれています。
皆さん、湯河原へおこしの際には、是非、居酒屋「福」にお出かけ下さい、私の伴奏で1曲といわず歌ってみませんか?
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」