<はじめに>

 ときは1613年(慶長18年)、ところは駿府城。徳川家康公は、日本人で初めて、花火見物をしたと伝えられています。
 種子島から、文字通り火が付いた「鉄砲」と「火薬」は、江戸時代の安定化政策により、鉄砲は専ら狩猟に使用され、火薬は花火の主原材料とされていました。
 龍勢の始まりは、江戸時代・安政年間(1845年~1860年)と口伝え。この時の龍勢は、竹筒に黒色火薬をつめて、木砲で打ち上げるものでした。現在の打ち上げ花火の原型と考えられています。
龍勢 龍勢
龍勢

<草薙神社>

 まずは、静岡市清水区の草薙神社の紹介から始めないといけません。
紀元110年6月、東日本の豪族たちが中央政府に背くという事件が起き、第12代景行(けいこう)天皇は第2皇子・日本武尊(やまとたけるのみこと)を東国征伐に向かわせました。
 土民に枯草に火を放たれた日本武尊は、おばの倭姫命(やまとひめのみこと)から頂いた宝剣「天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」を抜き、草を薙ぎ払い、難を逃れたとされています。
 以来、「天叢雲の剣」は「草薙の剣」と呼ばれるのですが、当の日本武尊は、東国を平定し、都に帰る途中、伊勢で亡くなってしまいます。
 景行天皇は、日本武尊の手柄の地を訪ねようと東国行幸の際、皇輿を今の天皇社(古宮、JR草薙駅入り口交差点の東付近)にとめ、一社を建立しました。草薙の剣を御霊代として日本武尊を奉祀し、その名を「草薙神社」と名付けました。

<草薙神社と龍勢煙火>

 その草薙神社は、江戸時代も村人たちの心の拠り所でした。日常生活と深く関わり、五穀豊穣・万民快楽・健康増進を願う人々に支えられていました。
 当時、駿府城と久能山東照宮の警固は、幕府直轄(老中所管)という重要な場所。久能山東照宮の、いわば搦め手の位置にあるのが草薙神社です。山道伝いに久能山に行き来ができ、東照宮の防備に草薙神社が大きな役割を担っていたことがうかがえます。
草薙神社
草薙神社
 したがって、幕府から指示された火術家は、草薙神社に狼煙煙火の作り方を伝授、有事に備えたと思われます。神主だけではなく、村の主な者を集め、奉納花火という名目で補助役を養成してきたのでしょう。
 狼煙的色彩の濃い龍勢煙火の製造方法は、秘法となり、口秘伝のまま伝承されていくのです。

<秘伝・龍勢煙火>

 草薙に伝わる龍勢は、推進ロケットで打ち上がるもののため、現在の打ち上げ花火の原型とは、構造的に異なるものです。火薬の作り方は、旗本お抱えの火術師たちの「秘伝」「秘宝」として、一流一派の閉鎖的な秘伝となり、後生守ることに専念していました。火薬の製法は暗号化し、特定の人にのみ伝えるものでした。
 龍勢作りは、まさに人から人へ直接体験を通して伝えられるもので、微妙な勘所は、その中から養われてくるものでした。
 現在は、技術検討会を開き、各支部の技術を公開しています。
 龍勢が盛んに打ち上げられるようになったのは、明治期以降です。途中、中断時期もありましたが、現在の龍勢製作の土台は、1953年に古老から指導を受け復活させたものです。
流星1 流星2
流星
 現在、龍勢花火を祭事として打ち上げているのは、全国で3カ所。埼玉県秩父市の吉田龍勢、藤枝市岡部の朝比奈龍勢、そして草薙龍勢です。
 点火上昇時の 白煙が天空に舞い上がる龍に見立て、「龍勢」。
 また、満天の星の中、火焔を吹き出して上昇する姿を流れ星に見たて、「流星」とも呼びます。

<草薙神社龍勢保存会>

 1984年(昭和59年)、静岡県民俗文化財に選定されるのと時期を同じくして、保存会を整備。「草薙神社龍勢保存会」が誕生しました。
秋元会長
秋元会長
 現在の会員は187名。保存会長は、秋本健氏。祭典余興企画運営、公的機関(警察・消防・文化財課・学校等)、打ち上げ場所付近の地権者との折衝、龍勢の製作と安全確保、技術の伝承と向上・技術保全などの役割を担っています。10支部15流派があり、それぞれの流派保存に努めています。
 

<草薙神社龍勢保存会の活動>

●無形民俗文化財体験支援●

 小学5年生を対象に、草薙に伝わる無形民俗文化財を学んでもらう事を目的とした活動です。
 龍勢に使用する落下傘や、ミニ落下傘を作り、祭りへの参加を通して、ふるさとの良さをより身近に感じてもらえるよう木遣り唄の練習、呼び出しの指導などをしています。

●木遣り唄・口上などの保存●

 木遣り唄には、「松前木遣り唄」「伊勢音頭道中木遣り唄」を元唄として歌詞をつけた「草薙木遣り唄」「龍勢音頭道中木遣り唄」を小学生児童に指導しています。また、「先綱音頭」「草薙木遣り唄」「龍勢音頭道中木遣り唄」を木遣り隊の仲間で学び保存しています。
 口上は、各流派の龍勢の特徴やスポンサーの宣伝を唄い上げ、最後に打ち上げ成功の願いを込め、打ち上げ合図「草薙神社の御前に御奉納」を発射台に向けて声を張り上げます。威勢の良さが大切です。
 

<草薙龍勢花火大会>

 2020年度から「草薙龍勢花火大会実行委員会」の組織が変更になります。草薙神社龍保存会が主体となり、氏子総代会、氏子自治会が補助して運営しています。 毎年9月の草薙神社秋季例大祭に近い休日に、草薙龍勢花火大会を開催しています。
 2020年は、9月20日(日曜日)。秋季例大祭と同日の開催です! 詳しくは「草薙神社龍勢保存会 公式ホームページ」をご覧ください。
 

<龍勢煙火>

全長16m、全重量25kg。「頭」「吹き」「尾竹(矢)」で構成します。
全長16m
龍勢煙火
 「頭」の中に、落下傘、花笠、導火線、火薬などを入れます。
 「吹き」は、真円で内径6.3~6.5㎝の孟宗竹を使い、3kgの黒色火薬をつめ、龍勢花火の推進力となるロケットの部分。
 「尾竹(矢)」は、龍勢本体をまっすぐ上昇させるための長い真竹の竿です。
 「吹き」、つまりはロケットに点火すると、龍勢は300mまで上昇し、ロケットの火薬を使い切ります。
 燃焼した火は、「頭」の中の火薬に点火し、爆発。「頭」の中から、「仕込み=落下傘(親吊り)=龍勢本体を吊る落下傘、落下傘(子吊り)=変化を吊る落下傘、変化=竹の筒の中に煙や光や音等の火薬を入れてある仕掛け花火、その他=トラ、連星、ナイヤガラなどの仕掛け花火を入れます」を飛び出させるのです。
 これが、龍勢ならではの技の披露となります。
 そして、仕込みを吐き出した本体は、落下傘でゆっくりと降りてきます。
 

<龍勢煙火の製作>

 製造工程は、概ね次の様な手順で行います。
  ①吹き竹・尾竹を探す②吹き竹の加工と乾燥・補強③尾竹の加工と乾燥④頭づくり⑤落下傘づくり⑥変化・ひごの加工⑦火薬のしめし⑧吹き詰め・錐もみ⑨当日の組み立て
 最後に紅白の袋をかぶせ、拝殿前に配置します。
制作 準備
制作・準備
 

<龍勢煙火の打ち上げ>

 長い尾の先端が地面に着かないよう、高さ20mの櫓を組み立てます。鉄骨を組み、最上部の柱に横棒を出し、龍勢を滑車で引き上げ、横棒に掛けます。
櫓
 
 当日、組み終え完成した龍勢は、一度本殿前に並ベられます。木遣り隊のメンバーや各支部の旗を持った若衆、有度第一小学校、有度第二小学校5年生による木遣り道中が、JR草薙駅から草薙神社に向けて木遣り唄を披露して歩きます。一同が神社に着くと、最後に先綱音頭を披露します。
 次に、神主により、安全祈願・清めのお祓いをしていただいた龍勢は、各流派の若衆によって山に運ばれます。
木遣り道中
木遣り道中
 発射を待つ龍勢は、長い尾の先端が地面につかないように、およそ20mの鉄骨の櫓(建地)の最上部に取り付けた鉄の横棒に掛けられます。
 観覧席に設置した口上櫓では、番付に従い、呼び出しと口上が述べられます。各流派を名乗り、龍勢の名前、家内安全・商売繁盛・時節に合わせた国の安寧などが独特な調子で呼び上げられます。
東西 東西
 ここに掛けおく 龍の次第は
  霊峰富士を望む有度山
  ふもとに高き神社の社
祭典祝して昇る龍 雄々しく輝く龍の舞
 音と光と変化の彩り 社に集う人々の
 心をついで 平和な未来の花と咲く
支部の願いを込めて
 当初 草薙神社にご奉納 ご奉納
(草薙奥支部の口上より)
 櫓の下では2人がロープを操り、龍勢を滑車で引き上げ、櫓の上の2人が発射台の鉄棒に吹きの部分を引っ掛けます。
 花火師が吹き口に導火線を差し込み、電気スイッチのコードを結んで準備完了です。
 発射前の合図として、赤と青の煙、または発色をともし、発射は電気着火で行います。
 点火すると、龍勢は上空300mまで上がり切ります。みごとに成功したあとは、回収係がカラを回収します。
Mt. Fuji Brewing Mt. Fuji Brewing
回収 大成功
 

<おわりに>

 草薙の龍勢は、伝統文化の保存・継承にかける意気込みと願いが、「火薬」とともに詰まっています。
 地域のコミュニケーションの場であり、祭りの効用は小中学生、地域住民に浸透しています。
 9月には、草薙の「龍勢」「流星」を、ぜひご覧になってください。
Mt. Fuji Brewing
取材風景
「参考資料」
草薙神社龍勢保存会発行「龍勢風土記 改訂版」