ちょっと紹介

わが青春の思い出 “怪物”江川卓との対戦

龍川建設(株) 今場 嘉寿さん(天竜協会)


第5回明治神宮記念野球大会
第5回明治神宮記念野球大会

深まる秋の神宮球場。昭和49年11月2日、第5回明治神宮記念野球大会が開催されていた。

愛知大学リーグ代表としてわが愛知工業大学は、東京六大学リーグの覇者、法政大学とホームベースをはさんで整列していた。大学の部初戦の相手は、あの甲子園を沸かせた“怪物”一年生エース江川を擁する法政大学であった。

「攻守交替は駆け足で!」主審の声を合図に一礼し、ベンチに向う。

昨日の歓迎レセプションの席での抽選会。対法政大を引き当て、少し興奮し、上気した伊藤主将だったが今日は1番バッターとして打席に向う顔からは、あの興奮を窺うことはできなかった。

伊藤は2番バッターの私にロージンバックをポンと渡した。いつもより肩をいからせてバッターボックスに向った。

「プレーボール!」第1球が投じられた。

ウェイティングサークルに片ヒザをついて待つ私の目にも、江川のボールの力強さが飛び込んできた。早めのカウントから打ちにいった伊藤の打球はハーフライナーとなりセンター植松のグラブに納まった。1アウト。

「ヨシ!」と自分に言い聞かせバッターボックスに向った。前のバッターのスパイク跡をならし、軸足の位置を決める間もマウンドの投手を追っている。戦いは始まっている。

グランド整列
グランド整列

軸足の位置を決めマウンドの江川に向う。初球から打っていこうとは考えていなかったが、かといって2ストライクまでねばり好球を待つという“勇気”も持ち合わせていなかった。そんな私の思いとは別にマウンドの江川は投球動作に入った。ゆっくり引きあげられた左足は十分に軸足に力を伝え、大きく振りかぶる両腕は次に移る左足の踏み出しに備え身体の軸線を直立に保つ。更に軸足のかかとを少し浮かすことにより、彼はより力強いボールを投じることを学んでいた。踏み出された左足に引かれ右腕がしなる・・・・イヤ、しならない。極限までに蓄えられた力をボールにぶつけている。

速さ自体には格別の驚きもなかったがそのボールの威力はまさに剛球のそれだった。瞬間私の目にはソフトボールの球が飛び込んできたように映った。「ストライク!」アウトコース一杯に決まった。

2球目はカーブ。直球の軌跡のボールが急ブレーキをかけ、50cmは落ちて私の視線を過ぎ、アウトコースにはずれた。「よし、直球狙いだ!」あごを引きヘルメットのつばを下げ高めのボールは振らないと自分に言い聞かせマウンドの江川に向った。「来た!」。バットが、身体が反応した。

江川の投じた3球目。振り出したバットに鈍い衝撃。ショートに力なく上がったフライを横目に“一瞬の欲”が後悔に変わった。見送った2球の球筋に「強く打て!」と眼が身体にシグナルを送っていた。時速140kmのボールがホームベースを通過するには0.3秒、投じられたボールを打つか打たないかを決めるのは0.1秒の瞬間しかない。

「強く!・・・」このシグナルが自分の描くバットの軌跡をゆがめていた。

走り出しながら今のボールを脳裏の中でもう一度追いかけていた自分がいた。

大学2年の秋。この試合は3打数0安打。試合は0-2で、初戦で敗退。

小学校から社会人野球まで15年間白球を追い続けた中で、この3球の情景だけがいつも自分の中にある。何故だろう。答えは今もわからない。

確かに言えることは、純粋に、夢中に、投じられたボールに向き合っていた自分がそこにいた。そのことが自分と野球のつながりの原点であり大切な宝物なのかもしれない。

スタンドへ
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