浜松市天竜区西藤平にある『疣観世音菩薩』。天竜東栄線(県道9号線)を鹿島橋から東栄方面へ約10キロ、上阿多古小学校の看板を右折し案内看板のとおりに行くと『藤平山 西来院』の山門へたどり着きます。お寺の本堂に向かって左側の階段を下っていくと小さなお堂があります。その横の岩盤から湧き出た水が窪みに溜められています。この水が疣取の妙薬とされている“いぼ観音の水”です。県内外から疣で悩んでいる多くの方々が持ち帰っているようです。
その由来として次のような話が伝わっております。
むかしむかし、阿多古の里“くら沢”のほとりに、きこりの夫婦が住んでいた。
二人には、三代(みよ)という美しい娘があった。三代は父と母を助けて、くるくるとよく働き、貧しい暮らしにも、何ひとつ文句を言うことはなかった。
けれども三代には、ひとつだけ悩みがあった。その美しい顔形には、似ても似つかぬ見苦しい疣が、手といわず足といわず、ぼこぼことできていたからである。
ある夏の日のこと、
「三代や、留守をたのんだぞよ。」
「早く帰って来るからね。」
その日も父さんと母さんは、朝から山へ出かけて行った。
疣観世音菩薩のお堂 |
するとしばらくして、
「ごめん下され。」
だれやら三代の家を訪れて来た。
「ごめん下され。旅の僧じゃ。のどがかわいて、とんと困り入った。水を一杯下さらぬかな。」
見れば見なり(原文のまま)はみすぼらしいが、品のいい旅の坊さんであった。
「まあ、旅のお坊さま。ちょっとお待ち下さい。」
そう言って、家の中へ入った三代は、やがて、
「お坊さま、さあ、たくさんお召し上がり下さい。」
と、裏の沢から汲みたての、冷たい清水を、なみなみと茶わんに汲んでさし出した。
岩から湧いている水 |
「おうおう、ありがたいことじゃ。」
坊さんは茶わんを受け取り、一気にそれを飲みほした。
「これはまた、何と冷たくて、おいしい水じゃ。旅の疲れも、いっぺんに吹きとんでしまったようじゃ。」
坊さんは、大そうな喜びようであった。
「ところでお娘ご、疣でお困りのようじゃが・・・・・・。」
「はい・・・・・・。」
三代は消え入りそうな声で、そう答えた。
「よしよし。それではひとつ、わしがいい薬を教えてしんぜよう。お娘ご、この裏山にある、小さな観音堂をご存知かな。」
「はい。」
「岩たばこの花が、一面に咲きほこっている岩場じゃ。その岩場に建つ観音堂のすぐそばに、清水のわき出ている岩穴がある。その水を疣につけなされ。疣はきっと取れますぞ。」
「まあ・・・・・・。」
「世話になったの。それではごめん。」
坊さんは、立ち去って行った。
次の日親娘は、坊さんの教えてくれた岩穴をさがして、裏山に登った。
すると、なるほど岩たばこの花が一面に咲きほこっている岩場に、小さな観音堂があり、そのそばには、清水がこんこんとわき出ている岩穴があった。
三代は大喜びで、その水を竹づつに入れて持ち帰り、神だなにそなえて毎日疣につけた。すると不思議なことに、あれほどぼこぼことできていたとできていた疣が、だんだんと消えていったのである。
「父さん、母さん、疣が消えていくわ。あのお坊さまが教えて下さった、お水のおかげよ。お坊さま、ありがとう。観音さま、ありがとう。」
大祭の看板 |
三代は大喜びであった。
「三代、あの観音さまは、きっと『いぼとりかんのん』さまにちがいないぞ。ありがたいご利益じゃ。これから先、大切にお守りしていかねばのう。」
三代は、心から観音さまに、手を合わせた。
はるかな伝説を秘めて、阿多古の里、藤平山西来院(とうへいざんさいらいいん)の境内が果てる岩場に、いぼとりかんのんさまが、おまつりされている。その霊験あらたかなご利益は、今なお多くの人々に、あがめれ(原文のまま)、毎日二月十一日の大祭には、遠近より大勢に参拝者が訪れて、盛大なおまつりがとり行なわれている。
この時の旅僧は、奥山方広寺を開いた無文禅師(むもんぜんじ)といわれ、いぼとりかんのんの清水は、現代の科学では、ラジウム鉱泉だと立証されている。(「ふるさとものがたり天竜・第2章上阿多古地区」より)