静岡県建設産業団体連合会(木内藤男会長)主催の「地域の暮らしを守り、未来を創る。『静岡県建設産業の主張2015』」が平成27年11月30日に静岡市内で開かれました。静岡県はじめ、会員、県立科学技術高校生徒など約200人が参加した中、全日本柔道連盟理事・広報委員会委員長の北田典子さんが「若手の育成方法~継続は力なり~」と題して基調講演されました。柔道を通しての若手の育成や、人生観について触れた講演の主な内容を紹介します。


 勝利至上主義と言われていましたが、私も勝利というものを目指して柔道を修行してまいりました。その中で、一番心に思ってやってきたことは、柔道を通して「人生を学ぶ」ということです。

■オリンピックメダルからの「気付き」

北田典子氏
北田典子氏

 きょうここにソウルオリンピックのメダルを持ってきました。実は、この銅メダル、11年間箪笥に締まってありました。

 私が目指していたのは金メダルであり、金メダルしか頭にありませんでした。やはり柔道は日本発祥の武道ですから、世界で一番。「金メダル以外はメダルではない」と言われ、目標にして育ってきました。

 銅メダルの瞬間は、「こんな銅メダルいらない」が一番の感想でした。ですから、11年間箪笥に締まってありました。

 メダルを出すきっかけは、長男を出産したときのことでした。「母親として子供を幸せにできるだろうか」と考えていた時に、たまたま看護師さんが私の試合を見ていた方で、「お母さんがメダリストなんて、いいわね」と息子に言ってくれたのです。その瞬間に、「私、銅メダルでもいいじゃないか。子供に一つでもいいと言ってもらえるものがあった」と気づかされ、11年後に初めて銅メダルを受け入れることができたのです。

 改めて出したメダルを見て、これを取るために血の滲むような努力をしてきたんだと思いました。次に、これは自分一人で取ってきたものではない、みんなの力があってこそと気づきました。

 私たちは日の丸を背負って戦っています。ということは、この銅メダルは日本人全員のメダルだということにも気づきました。

■心をきちっと整える

 オリンピアンといえば子供の頃からやっていると思われがちですが、柔道を始めたのが中学1年の終わりでした。柔道は非常に激しいスポーツですし、まだ「女性が柔道なんて」という時代でしたから、非常に女性が少なかった。家が道場をやっていて、幼いころから柔道に触れる環境にあったのですが、女の子がするものではないと言われていました。
 中学に入り、陸上の短距離をやり、その後柔道に入りました。高校2年生の時、オリンピックがあると聞き「私、必ずオリンピックに出る」とみんなにホラを吹きました。実行しなければ、ただのホラ吹きですので、現実にするために努力を積み重ねました。
 オリンピックの直前、ライバルが2人いました。この2人に勝つために12時間の稽古、ウエートトレーニングを含めて1日の半分以上を柔道に費やしました。
 練習という「動」のほかに、「静」の時間をつくりました。きょう一日自分が課題をやれたかどうか、あす・将来の課題について、頭の中で反省会(練習)するんです。お風呂に入り、疲れた体を十分ケアするのも柔道です。食べることもそうです。試合の前日は、部屋をきれいに片づけて、全て余分なものを取り除いて試合に向かうようにしていました。自分の節目として行動し、心をきちっと整えると、「これだけやったんだから、負けるはずはない」と自信が湧いてきました。戦っている時は「もっと相手は強いんだ。もっと練習しているんじゃないか」と不安に駆られます。だけどもそれまで積み上げてきたものが、自信として入ってきました。実際、試合に立った時、何の不安もありませんでした。そして、がむしゃらに結果を求めて戦うことができたのです。

■一瞬の不安が負けに

 オリンピックで銅メダル。敗因は負けた瞬間に分かっていたんですね。試合に入るとどんどん腹が据わるタイプでしたので、怖いと思うことが一度もなかったのですが、準決勝戦であまりにも計画通りに進み、「この試合、守りきれるだろうか」と初めて不安が押し寄せてきました。その瞬間に体が固まって、投げられていました。自分は本当に最善を尽くして舞台に立ったけれども、一瞬の不安が負けにつながった。しかし、「オリンピックの時にはまだまだ努力が足りなかったんだ。だから銅メダルなんだ」と思いました。

■若手の育成

 教え子で女子柔道初の金メダリストの恵本裕子さんがいます。恵本選手は、高校1年から柔道を始めた無名の選手ですが、(稽古で)私に木の葉のごとく投げられると、「おかしい、おかしい」と首を傾げるのですね。そして、「もう一本お願いします」と何度も当たってくるのです。普通はオリンピック選手に投げられたら当たり前だと思うでしょうが彼女は違った。後に聞いたら、「オリンピック3位だろうが、私より強い女はいないはずだ」と、投げられているのが絶対ありえないと思って掛ってきたということです。ただ、彼女の気持ちが私に伝わりスカウトしました。肉体的な柔道の才能よりも、気持ちの部分に非常にひかれました。
 若手の育成については、彼女と向き合ったときのことです。よく喧嘩しました。私が24歳で引退してコーチになって、年齢も近く、指導者としても経験がない中で、向き合わなくていけませんでした。教える選手に向き合った時には「あなたの中から湧き出てくる力を見つけ出したいんだ」と、とことん話し合います。妥協せずに、自分の考えもぶつけます。向いている方向は同じですから、最後は共通点を見つけて一緒に前を向くようにしています。

■教育の場は「共に学ぶ場」

 一流選手は、みんな繊細で素直です。いろいろな人の話を素直に聞き、取り入れていきます。だけれども、指導者として自分の考えを押し付けるのだけはやめようと思いました。「私が言ったことに対しては、自分だったらどうするか考え、何か意見をいいなさい」と指導しています。ですから、反論に近いことも出てきますが、指導者として受け止めます。
 その人間を押さえつけては、可能性をつぶしてしまうことになります。今でも、教育の場は「共に学ぶ場」でなければいけないと考えます。純粋な子供たちから学ぶこともあり、お互いが共に学ぶことが大切です。私の先生がそうでした。自分で考えて自立しろと言われてきました。ですから、必ず何かものごとが起きた時に考える習慣を柔道によって身に付けました。

■相手を思いやる

 柔道を通して一番感じていることは、人の大切さです。自分だけ強ければいいんじゃないのです。それでは成り立たない。柔道の創設者の嘉納治五郎先生は、柔術から人間教育を含め人生を学ぶ道として「柔道」と名付けられました。柔道は技で投げたら、必ず相手を痛めつけないように救い上げるんです。一見して非常に危険なことのように見えるのですが、相手を思いやることを厳しく指導されます。そして、まず「礼」から始まります。美しい礼をしていれば、どこに行っても通じます。

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