栗山社長

静岡市歴史文化拠点推進監 中村羊一郎氏(館長予定者)に聞く

 静岡市民が待ち望んだ「静岡市歴史博物館」が、7月23日にいよいよプレオープンします。博物館では、大御所として駿府城で亡くなった徳川家康の一生、その家康を育てた戦国大名・今川氏の治績などを発信。さらには〝家康後〟の駿府城下町や清水港などがどのように発展をとげたのか、今に至る静岡の歴史を再発見することができます。博物館の館長に就く静岡市歴史文化拠点推進監の中村羊一郎氏に博物館の魅力や静岡の歴史について聞きました(聞き手:静岡県建設業協会総務・広報委員会委員長 佐野茂樹氏、同副委員長 三尾祐一氏、委員 市川聡康氏)。

2階鳥瞰(静岡市提供)

3階鳥瞰(静岡市提供)

静岡市歴史博物館(静岡市提供)

1階ギャラリー(静岡市提供)

1階遺構エリア(静岡市提供)

委員  静岡市歴史博物館の建設はどのように決まったのでしょうか。

中村  歴史に関心の高い市民の間では、20年くらい前から市内に博物館をつくりたいという声があがっていました。静岡県が行った県史編さん事業でも、集まった膨大な資料を保存・公開する本格的な歴史博物館はつくられませんでした。
 そうした中で、静岡市の総合計画に『歴史文化のまちづくり』という方針が盛り込まれ、この方針に沿ったプロジェクトの一つとして、静岡市歴史博物館の建設が動き始めました。

委員  まもなくプレオープンする博物館は、どのようなコンセプトで建設されたのでしょうか。

中村  新しい博物館には、大きく三つのコンセプトがあります。一つ目は、静岡の歴史資料を収集・保存・展示・研究するという学術的な役割を果たすこと。二つ目は、静岡市に国内はもとより海外からも多くの観光客が訪れてもらうための観光施策の核となること。そして三つめは、博物館を教育の場で生かすことによって、静岡市の将来を担う子どもたちに『静岡愛』を育んでもらうことです。博物館は、まさに静岡市発展の基盤を作るための先行投資にほかなりません。

戦国時代末期の道と石垣の遺構
(静岡市提供)

東照大権現像(静岡市所蔵)

委員  駿府城公園や静岡市役所、県庁に囲まれた最高の立地ですね。

中村  近年の文化施設は、郊外ではなく、市民が徒歩で訪れることができるまちなかに建設されるのがトレンドです。そういった意味で、建設地には、旧青葉小学校の跡地が選ばれました。この場所は、かつて駿府城を管理していた城代の屋敷があったところで、明治以降も徳川家の支援も得て葵文庫が設けられた、言わば知の集積場所。歴史的な環境としてはこれ以上ない立地と言えます。
 実際に工事が始まると、戦国末期の道の遺構が発見されました。博物館を建設するために文化財を壊すことはあってはならない。これをチャンスに変え、遺構を十分に生かそうではないか。そこで、建築物に遺構をそっくり取り込んで四百年前の静岡の姿を体感してもらえるよう設計が見直されました。湿度や土中の塩分濃度の測定など遺構の維持管理も行う、全国的に珍しい新しい保存・公開のスタイルとして注目されます。

委員  道の遺構の他にも目玉となるような展示物はありますか。

中村  皆様が最初に目にするのは、大御所家康が世界を見据えて外交を展開していたことをわかりやすく理解できるメディアテーブルです。家康は駿府を訪れた外国人から「皇帝」と呼ばれたほどで、駿府が日本の首都機能を果たしていたことをビジュアルな仕掛けによって具体的に理解できます。
 さらに、今川氏の業績のすべてを知ることができるのも展示の目玉です。今川氏は日本の戦国大名の中でも最先端の政策を展開した大名として、研究者の中では高い評価を受けていますが、一般的には織田信長に討たれた弱い大名というイメージがあります。このイメージを払拭する展示は、静岡でしかできません。今川氏によって静岡市のまちづくりがスタートし、そこで家康が育ったという歴史があります。これからも今川氏にまつわる古文書や資料の収集・分析を継続していきます。

桶狭間今川義元血戦(静岡市所蔵)

東海道図屏風(左隻)(静岡市所蔵)

東海道図屏風(右隻)(静岡市所蔵)

委員  3階フロアでは、江戸時代の駿府城下町のようすも見られるそうですね。

中村  家康が亡くなってからの駿府については、一般的な関心が低いかもしれませんが、実は長年にわたる文化的な蓄積があったことを伝えたいと考えています。東海道に始まり、駿府のまちの豊かさを再発見できる展示室にしていきます。
 さらに江戸幕府が倒れた後は、静岡藩主徳川家達のもとで渋沢栄一や勝海舟、中村正直といった優れた旧幕臣たちが先進的な政策を打ち出しました。明治の近代国家建設のさきがけになったのです。そういった明治初頭の静岡の底力をしっかりと認識してもらいたいと考えています。
 太平洋戦争の末期に、登呂遺跡が発見されました。戦後に研究者が総力をあげて取り組んだ登呂遺跡の発掘は、単に弥生時代の遺跡が見つかったということではなく、日本の古代史を書き換えるほどの重要な意味を持つものでした。登呂遺跡の発掘から戦後の日本の歴史を感じてもらえるように展示を締めくくりたいと思っています。
 そしてもう一つ、昭和30年代中頃の静岡市の中心地のジオラマを作ります。年配のかたは、「あそこで買い物をして映画を見たっけなあ」と懐かしさを感じ、子どもたちには、半世紀以上も前のまちの姿を見て、今の静岡の発展ぶりを知ることができる楽しい展示になるに違いありません。
 展示のいちばん最後に、徳川家達が書いた「彰往考来」の額が掲げられます。過去を明らかにし、未来を考えるという、この博物館にもっともふさわしい言葉です。

委員  来年1月のグランドオープンが待ち遠しいですね。館長として、市民にこの博物館をどのように利用してもらいたいですか。

中村  『みんなでつくる博物館』にしていきたいですね。博物館としての活動に加えて皆さんから資料や情報を提供していただいて、さらに展示を充実させるだけでなく、学びの場として、観光の拠点として大いに活用していただきたい。この博物館がすべての市民の財産となり、大いに発展していくことを心から願っています。

静岡市歴史博物館HP https://scmh.jp/

【略歴】中村羊一郎氏(なかむら・よういちろう)
東京教育大学文学部卒業。博士(歴史民俗資料学)
県立静岡高校教諭、県史編さん室長、静岡市立商業高校校長、静岡産業大学教授などを歴任し、2018年度に市歴史文化拠点推進監。
『番茶と庶民喫茶史』『お茶王国、静岡の誕生』など著書多数。
7月23日にプレオープンする静岡市歴史博物館の館長予定者。
静岡市出身。79歳。

中村氏に話を聞く
三尾副委員長、佐野委員長、市川委員(左から)

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