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 突然ですが、問題です。 ●北海道虻田郡留寿都村 答えは、童謡「赤い靴」(作詞・野口雨情、作曲・本居長世)に所縁のある像が建立していることです。 <童謡「赤い靴」>童謡「赤い靴」は、大正11年(1922年)に発表され、歌い継がれ、全国に広がったとされています。 昭和48年(1973年)、北海道新聞への一通の投稿をきっかけに、北海道テレビの当時の記者が「赤い靴の女の子」について調査。結果、モデルが実在していたことが判明しました。 <モデルの女の子は清水っこ>モデルとなった女の子は、「岩崎きみ」ちゃん。明治35年(1902年)、母親「かよ」さんの出身地でもある日本平の麓・旧不二見村、現在の静岡市清水区宮加三で誕生しました。 母子はさまざまな事情で、北海道に。その後、開拓地へと向かうこととなり、幼子の入植に不安を抱いた母親かよは、養女を探していたアメリカ人宣教師夫妻にきみを託します。 母かよは、親交のあった野口雨情に「宣教師夫妻の帰国により、娘きみはアメリカで暮らしている。元気に幸せに暮らしている」と身の上を話します。そして、童謡「赤い靴」が書き上げられました。 <異人さんのお国には…>実際には、宣教師夫妻が帰国する時、きみは大病を患い衰弱していました。長旅などできる状態になく、東京のクリスチャン系孤児院に預けられ、9歳で天に召されるのです。 そして、現在は、港区六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に、きみは眠っています。 <故郷の清水へ里帰り>昭和60年(1985年)の6月、清水郵便局から「文学絵はがき」発行に伴う後援願いが当時の清水市役所に提出されました。その中に「赤い靴」が含まれていて、モデルが清水市出身であることが記されていました。 調査・確認を経て、1カ月も経たない6月29日には日本平観光組合から募金活動で母子像を建設したいとの申し出がありました。関係各署との調整の後、清水市では、官民一体で母子像建設の募金活動が展開されます。 悲しい実話に心を打たれ、きみと母かよを「故郷の清水市へ里帰りさせよう」という市民の想いは、多額の浄財へと転化していくのです。 <大きな特徴…母子像>デートスポットの定番、横浜・山下公園にある「赤い靴はいてた女の子像」との大きな違いは、母子の像であるということです。 ふるさとの地・不二見村を見下ろす日本平の山頂で、幸薄い母と子を再び相い合わせようと考え建立した母子像となっています。女の子が母親と手を取り合い、親子の絆を感じさせる趣きです。 碑文には、母子の悲しいエピソードも刻まれ、母子のとこしえの安らぎを像に託そうという市民の想いが一層伝わってきます。 像の制作者は、斯界でも名声の高い、日展評議員の高橋剛先生。奇しくも、この母子像が芸術院恩賜賞受賞作品となりました。 <日本平の絶景…日本一!>母子像のある標高307メートルの丘陵地・日本平は、日本観光地百選1位に選出され、日本夜景遺産にも認定されています。  日本平の絶景は、日本一です。 母子像は、日本平夢テラスの東側に設置してあります。ぜひ、きみちゃんと母かよさんに、あなたも会いにきてください。 
 <アクセス>■JR静岡駅北口11番バス停~県営駐車場・日本平ホテル | 



