諏訪原城跡推定復元図(香川元太郎氏作画)

 現在放送中のNHK大河ドラマの主人公である徳川家康は、静岡県にとてもゆかりのある戦国武将です。家康を語る上で欠かせない城が、島田市にあることを御存じでしょうか。
 今、全国の城好きから注目を集めている山城があります。それが、国指定史跡「諏訪原城」です。
 “城”と聞いて皆さんが想像するのは、「姫路城」や「熊本城」といった、天守閣を持つ城ではないでしょうか。ところが、そういった天守閣を持つ城は、日本全国にある城跡の中の、ほんの一握りにすぎません。日本国内には、小規模のものを含め、3万~5万の城跡があると言われています。そのほとんどが天守閣や石垣を持たず、敵の侵入を防ぐために堀を掘ったり、土塁を盛ったりして造った土の城です。土の城は、鎌倉時代から戦国時代までに築かれたものが多く、戦いの最前線基地として使われていました。
 諏訪原城も、武田と徳川の遠江を巡る戦いの中で築城された、戦のための山城でした。


諏訪原城の歴史

諏訪原城応援隊

 諏訪原城は、天正元年(1573)に、武田信玄の息子、勝頼の命によって、旧東海道沿いの牧之原台地の上に築かれた山城です。
 城内に諏訪大明神を祀ったことから、諏訪原城の名がついたと言われています。諏訪原城は、駿河から遠江に入る要衝の地にあり、高天神城(掛川市)攻略のための陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担いました。
 天正3年(1575)に、長篠の戦で武田が織田・徳川に大敗すると、同年に諏訪原城も家康によって攻め落とされ、それ以降は牧野城と呼ばれるようになりました。
 家康は、牧野城に城番を置き、駿河の武田に対する最前線拠点としました。今川義元の息子であり、駿河の国守であった今川氏真も、家康から駿河侵攻の旗印として牧野城に招かれています。また、城番を務めた松平家忠が記した『家忠日記』には、天正6年(1578)から天正9年(1581)にかけて、高天神城の武田を警戒して堀や塀を何度も改修していることが記されています。
 天正9年に徳川が高天神城を攻め落とし、翌年に武田が滅亡すると、この城の必要性はなくなりました。その後、家康が関東に移ったことから、天正18年(1590)頃に廃城になったと言われています。
 令和5年は、諏訪原城が築城されてから450周年の記念の年です。そのため、令和2年に結成された、落語家でお城愛好家の春風亭昇太師匠を隊長とした「諏訪原城応援隊」による記念イベントなどを計画しています。


諏訪原城のここがスゴイ!

二の曲輪中馬出

1.家康が武田流築城術を巧みに利用した城

 諏訪原城跡には、三日月堀(三日月型の堀)と半月状の曲輪(平坦地)がセットになった「丸馬出」と呼ばれる防御施設が良好な状態で遺っています。丸馬出は武田流築城術の特徴で、城の虎口(出入口)を守るために設置されました。
 日本国内に丸馬出が使われている城はいくつかありますが、諏訪原城跡の丸馬出は日本最大級の大きさを誇り、見る者を圧倒する迫力があります。
 これまでは、「丸馬出イコール武田」ということから、諏訪原城跡の巨大な丸馬出も武田が築いたものだと考えられてきました。しかし、近年の発掘調査の結果、これらの丸馬出は、家康が敵対していた武田の築城術を巧みに利用し、諏訪原城を牧野城として、より強固な城へと改修させた可能性が大きいことが分かりました。

本曲輪からの景色

2.自然の地形に守られた「後ろ堅固」の城

 諏訪原城は牧之原台地の端に立地しているので、大手(表口)は平坦ですが、本曲輪の東側は断崖絶壁で、当時、城の眼下を大井川が流れる自然地形によって守られていました。
 現在、本曲輪東側からは島田から焼津のまちを一望でき、天気が良い日には富士山や駿河湾、伊豆半島まで見渡すことができる絶景スポットとなっています。

外堀

3.絶対に敵に侵入させない巨大な空堀

 諏訪原城は、巨大な空堀に囲まれています。最も大きな堀は、深さ約8m、最大幅約25mであり、人の手で掘ったとは思えないほどの大きさです。
 近年の発掘調査で、これらの堀も徳川の時代に改修された可能性が高いということが分かりました。

二の曲輪北馬出の門

4.毎年進められる整備により見やすくなる城跡

 島田市では、平成16年から史跡整備事業に伴う発掘調査を実施しており、その結果に基づく整備を毎年実施しています。平成29年には二の曲輪北馬出に門が復元され、現在はその門に付属する土塀の骨組みまで完成しています。
 案内看板の設置や見学路の整備など、一年毎に整備が進んでいるため、今後も諏訪原城跡から目が離せません。

- 諏訪原城ビジターセンターの御案内 -

 諏訪原城ビジターセンターでは、日本の城について、城の変遷、城郭用語、諏訪原城の歴史や構造、諏訪原城の年表、諏訪原城推定復元図等のパネルや、発掘調査により出土した陶器や鉄砲玉等の資料、静岡県立島田工業高等学校建築科の生徒が制作したジオラマ等が展示されています。
 また、大人気のクリアファイルを始めとする諏訪原城グッズも販売しております。

【諏訪原城ビジターセンター】
住  所 島田市菊川1174番地
開館時間 10:00~16:00
休 館 日 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)、
年末年始(12/29~1/3)、臨時休館日
クリアファイル

諏訪原城跡へのアクセス

JR東海道本線を御利用の場合
 JR東海道本線金谷駅下車 徒歩30分 
 ※旧東海道の石畳(金谷坂)を登っていきます

お車を御利用の場合
 東名高速道路相良牧之原ICから20分
 新東名高速道路島田金谷ICから12分
 国道1号線バイパス大代ICから10分