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| 高さ4mの高石垣 |
史跡小島陣屋(おじまじんや)跡。史跡内には、城郭を思わせる高石垣が残る他、昨年11月に書院の移築が完了し、当時の風景が蘇りました。小島陣屋は大名陣屋と呼ばれ、これは主に城を持たない大名(無城大名)や幕府の代官などが、領地を統治するために設置した役所兼居館のことです。城郭を持たないものの、政務を執り行うための建物や武士の住居などが配置されていました。
江戸時代の小島藩主・瀧脇松平氏が治め、生活した場所で、宝永元年(1704年)から明治維新まで164年間、続いていました。一般的には軍事的施設を持たない陣屋ですが、小島陣屋は高石垣など城郭風の特徴を持っています。発掘調査では土蔵建物跡や石段、排水路も発見され、江戸時代中期の大名陣屋の在り方と構造を知るうえで貴重であることから、平成18年に国の史跡に指定されました。
小島陣屋にあった御殿のうち、書院部分が現存しています。大きな藩の書院、広間、中奥を一体化した建物と考えられ、陣屋の御殿建築を知ることができます。
明治元年の小島藩転封後、書院は小学校の校長室として使われた他、昭和3年には、小学校の移転に伴い、国道沿いに移築され公会堂として地域の人々に愛されました。
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| 小学校の校長室(左、清水市立小島小学校創立百周年記念誌掲載)、公会堂(右)として利用されてきた | |
令和6年11月、国道沿いから元の位置に移築し、幕末の姿に復原しました。江戸時代から残存していた部材(柱や天井板、床板など)を約8~9割使用しています。また建物の南側と西側の屋根の一部には江戸時代の瓦を使い、新しい瓦も同型のものを製作しています。
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| 昨年移築・復原した書院 | 復原した書院の間取り |
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| 居間・上の間 | 次の間①、② |
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| 桔梗をあしらった瓦 |
書院が現在の場所に移築される前に、柱などの部材に刻まれた痕跡や印などから、江戸時代にどのような構造や間取りをしていたかを調べる解体調査が行われました。調査の結果、書院には4つの部屋があり、それぞれ政務を行った書院・応接空間であった広間・生活空間であった中奥の機能を持っていたようです。こうした機能が一体的にまとめられた御殿は全国的にも珍しく、1万石大名の実状を垣間見ることができます。
屋根には藩主滝脇松平氏の家紋である桔梗をあしらった瓦が見られます。この瓦は、当時から葺かれていたものを活かしながら、破損してしまったものは新たに補っています。
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| 金々先生栄花夢 |
江戸時代の中頃に戯作者・浮世絵師として活躍した恋川春町は小島藩の藩士でした。恋川春町の名は、江戸藩邸のあった「小石川春日町」(現:東京都文京区)の地名から名乗ったといわれています。春町は作品を世に出しながら、役人としても藩政の中枢で活躍していました。日頃は江戸で働いていたようですが、一時期小島で年貢取り立ての責任者を務めていた記録も残っています。
春町の作品は、令和7年の大河ドラマの主人公、蔦谷重三郎によって刊行されていました。春町は寛政の改革・出版統制令で取締りを受けますが、重三郎もまた同様に取締りを受けていました。春町の代表作「金々先生栄花夢」を出版した鱗形屋孫兵衛は重三郎の本づくりの師でもあり、大河ドラマに登場する2人に密接な関係があったようです。
華々しい大名の城郭が全国に残る一方で、小大名の陣屋は市街化の影響を受けほとんど残っていません。小島陣屋のように史跡としてほとんどの範囲を整備される例は珍しく、歴史好きな方にオススメな通なスポットです。ドライブやツーリングの休憩に、大名気分で陣屋や御殿を散策してみてはいかがでしょうか。